Sophiee Winkler
2008年05月12日
13:32
最近「蚊遣り豚」作りました。陶器の蚊取り線香立てといった方が分かり易いかも。かなりリアルに出来たので満足なんですが、私も昔と随分変ったなっていう思いがしました。去年の夏ごろSL始めたんですが、その頃は単なるRLの再現は下らないと思っていました。例えばピサの斜塔をRLそっくりに製作したとして、それが何の意味があるのっていうことね。本物にかなうわけないんだし。
戦艦大和、それがどうした、なんて言ってたんだけど。作る側に回ってみると、色々クリアすべき課題があってそれなりに面白いし、達成感があるわけ。だからRLの何かに思い入れが強い人がいて、それを自分の手で表現するとか、他の人と感動を共有できるとかいうのは意味があるわねって、思い直したんです。
SLっていう名前自体RLの存在が前提になっているし、RLにないものを作ったり、やったりするのは簡単ではありません。仮にそういうことをしても違和感があったり、周囲に受け入れられないことが断然多いでしょう。だからそういう全くの新しい存在や行動を生み出していくというのは純粋な芸術活動みたいなもので、誰にでもできるというものではないのね。かといって誰にできるのか、何ができるのかは最初から分かっているわけでもないので、才能のある人も無い人もチャレンジしてみるしかないんです。
この間RLのJR溝の口の駅前で演歌を唄っている少年がいたけど、どんなに上手でも真似なんですね。でも私の現在つくっているものも全部RLの真似です。だから、どこが違うのかって考えるとだんだん分からなくなっちゃう。
とことん真似をしたものはそのこと自体は凄いと思うけど、その作品やパフォーマンスはすぐに飽きられてしまいます。RLからコンセプトを借用してきて、自分なりに作ったものは結構工夫の余地もあって、面白いものになります。「蚊遣り豚」はどうもRLを意識しすぎて面白みが少ないものになったのかも。ま、夏の風物としてのスモールアイテムで、浴衣や団扇や縁台、花火なんかとセットで使ってもらえるといいんです。
http://slurl.com/secondlife/JOB/182/128/48
4月に借りたAzitoっていうSIMの中層階が昭和レトロで統一されているので、その街並みに合うものを作ろうとすると、みんなRLの真似になってしまいます。でもその偽物の持つ味が不思議な懐かしさや哀愁を感じさせるんですね。そういうものを作っているのは過去にどっぷり浸かってしまっているという一方で、自分が持っていなかった様々なSLの技術の獲得や応用にチャレンジしているという面もあります。不思議な感覚。私たちには挑戦と癒やし、高揚感と安心感の両方が必要なんですね。