Sophiee Winkler
2010年02月24日
13:28
今回の冬季五輪も悲喜交々のドラマを見せてくれています。特に日本は例によって本番に弱い本性を遺憾なく発揮して、評論家は連日無意味なコメントを連発し、視聴者はストレスを溜め込むばかりです。
でもよく観察していると、一様に駄目ということではなくて、駄目さにも色々あることが分かります。例えばマイナー種目とメジャー種目では駄目になってしまう理由が違うのです。
何がメジャーで何がマイナーかというのは定義は難しいのですが、ここでは便宜上過去に日本がオリンピックでメダルをとったことがある種目はメジャーだということにしましょう。
そうすると女子フィギュアスケート、男子スプリント、ジャンプやノルディック複合等はメジャーということになり、スケルトン、リュージュ、ボブスレーといったものはマイナーということになります。
もちろんこのような単純な色分けには無理があり、スケートのショートトラックなんかは昔はメダルをとったこともあるのに、相変わらずマイナー感いっぱいですし、スノーボードのハーフパイプ何か、オリンピックとは無関係に発達してきているので、どっちとも云えないでしょう。
さて、マイナー種目であることの悲哀は随所に見ることが出来ます。機材の重量の設定を間違えた、型式認証をとっていなかった等々ですが、これらの悲劇の多くは、選手は勿論のこと、コーチや監督も実はお金のないなか見よう見まねで細々とその種目を続けてきただけで、世界の趨勢を知らないし、情報が決定的に不足している、また英語も実はよく分からないといった基本的な部分で既に負けているといったことに起因しています。無駄な努力を延々と繰り返す時期が続くということになります。
これはある意味仕方のないことで、国全体としてその種目にお金や人材を注ぎ込んでいないのだから、始めから結果は見えているということになのです。これらの人々は将来のための「捨石」であって、その表現が失礼というのなら、将来の繁栄のための「種火」とでもいうべき存在なのです。だから失敗して成果を出せなかったからといって、この人達を責めたり、罵ったりするのは控えるべきでしょう。この人達はたとえ将来その種目がメジャーなものになったとしても、それでご飯を食べることもできず、後から出てきたメダリスト達からでさえ口先の敬意しか払ってもらえない損な役回りなのです。先駆者とはまず、野に屍を晒す人達のことです。今の日本の体勢では本当のスーパースターが出てくるまで待つということになります。
日本は人口はそこそこいるのですが、日本人の特性なのか、どんなところにも首を突っ込んでマイナーなスポーツをやりたがる傾向にあります。ほとんど体格で決まってしまうような分野にでも進出していって、何十年間も徒労を繰り返しています。しかし、ある意味それはスポーツに対しては純粋な姿勢で、別に勝つためだけにやっているのではなく、「自分達が気が済むから」やっているということになります。したがって観戦する方の私たちは、今それをやっている人達が「勝つために」やっているのか「気が済むから」やっているのかをよく見極めておく必要があり、自分がそこを見誤ったのに、プレーヤーや監督を非難するのはおかしいのです。
このように日本に一定人数しかいない運動神経が非常に発達した人々は、日本では必要以上に多くのマイナーとメジャーの種目にばら撒かれているので、どの種目をとっても世界との競争に勝つことは難しくなっているのです。翻って他の国を眺めると、必ず自分達の得意な種目に多くの人材を集中していることがわかるはずです。英国ではラグビーやサッカーに人材が集中しているし、北欧諸国では冬季五輪種目と水泳くらいのものでしょう。
つまりそれぞれの国が身の程をわきまえて、「選択と集中」路線を選んでいるのです。日本ではそのような戦略的な意図というものは誰も持っていないので、野放図に対象種目が広がっていきます。確かにそのお蔭で「ホットドッグ早食い世界チャンピオン」が輩出したりすることもあるのですが。いずれにしても人材の配分という観点からは、日本はまるで自国が米国、中国、ロシアといった大国であるかのような欲張り路線を歩んでいるということになります。
さて、話をもとに戻して、メジャーになってしまうと何故駄目になるのかということです。マイナーで駄目で、メジャーでも駄目なら救われようがないのですが、確かに現状は救われ難い様相を呈しています。
メジャー種目とは何かというと、それで五輪や世界大会で選手にメダルを採らせることによって何らかの「商売」に繋げようという動きが出てくるということです。コーチとして街の何とか教室を主宰することから、実業団チームの指導者になること、TVに出て脳科学者のお先棒を担いだり、講演をして回ったりする、あるいは企業として製品のイメージを上げることにそのプレーヤー使うということになります。
そうなるとどういうことが起きるかというと、大資本がそこに入ってきて、自らの主催する実業団チームの選手を五輪候補として強引に押し込むということが起きます。実際シドニーの女子マラソン金メダリストである高橋選手は、そのような巨大資本の横暴の前にアテネ五輪出場を断念させられたのでした。
この大資本の関係者の目的はその種目を盛り立てることでも、選手にメダルを採らせることでもないのです。もちろん取るに越したことはないのですが、とりあえず五輪に選手を出場させられればいいのです。その結果どういうことが起きるかというと、他の組織に属する有力な選手を押しのけておいて、自社の病気、怪我持ちの選手を押し込んで、本番でリタイヤさせるということを繰り返すのです。スポーツの世界を私物化しているといってもいいでしょう。そうして評論家もこの横暴に目を瞑って、心にもないコメントを繰り返すということになります。
このような観点から各種目を分析したものはありませんね。私のような素人ではなくてちゃんとしたジャーナリストがこのタブーに挑戦すれば随分と面白いお話が書けるのではないかと思っています。
次回は「監督と評論家は何故馬鹿なのか?」についてです。