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プロフィール
Sophiee Winkler
Sophiee Winkler
2007年6月生まれ。MagSLの原宿に住んでて、HARAJUKU PLACE というお店をやってます。景観商品とか小物が中心です。最近はスキンとシェイプに凝っています。
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2016年08月04日

スポーツテロリスト



 いよいよオリンピックですね。とても楽しみです。でも私達は毎回選手達の活躍に過剰な期待を掛けてしまい、それが満たされないと犯人捜しを始めてしまいます。これは分かっていても止められないことなので、そんな皆さんのためにお尻の持って行き先のヒントを掲げておくことにします。

 表題のスポーツテロリストとは、別にスポーツイベントをテロリストが襲って大規模な被害が出るという意味ではありません。このテロリストは見掛けでは普通の人と全く見分けられず、スイスイとセキュリティーガードをすり抜けて、選手に直接呪いの呪文を浴びせ、決まりかけていた金メダルを幻に変えてしまうのです。
 
 代表的な人物の技をご紹介しましょう。彼は元プロテニスプレーヤーで、TVではスポーツキャスターを務め、日捲りカレンダーでも稼ぎまくっています。彼はソチ五輪の女子ジャンプでは決勝前夜に高梨沙羅にインタビューしてある呪文を連発しました。

 「金メダルへの日本中の期待が高まってもの凄いプレッシャーですね。」、「このプレッシャーをどうやって乗り越えますか?」、「いまプレッシャーを感じてますか?」という調子でした。その結果彼女は見事に失速、3位にも入れませんでした。

 また、ゴルフの松山英樹選手にもあるメジャーイベントの最終日前日にインタビューしてやはり「プレッシャー」を連発し翌日の彼の優勝圏外への急降下に貢献しました。 テニスの解説者としては超一流なのですが、他の種目では素人なので、どうしてもこんな武骨で下品なアプローチになってしまうのですね。他にもいろいろあります。

 プレッシャーを自覚し、それを乗り越えることは美しいことですが、それは一つのアプローチであり、誰にでもそれを強要することは誤りです。どうしてもそれに言及したければ次のような表現を使えばいいんです。

 「あなたはどうやって集中力を高めていますか?」、「あなたのラッキーアイテムは何でしょう?」、「気分転換はどんなことをしていますか?」

 でも、彼がその手法を変えるとは思えないので、今回も犠牲者が何人も出るでしょう。彼がリオに派遣されないのが一番なのですが、そうもいかないでしょう。どうしても行くのであれば、彼が自らの身を投げ打って、一人でジカ熱を引き受けてほしいですね。

 日本人選手がプレッシャーに弱いというのは定評があり、ライバルの他国の選手も勝負どころで色んな妨害を仕掛けてきます。いかに日本人のこの「甘ちゃん」ぶりを叩き直せばいいのか?技術とか練習とかではなさそうですね。東京五輪に向けてスポーツ科学に「メンタルタフネス」というのも入れで本格的に取り組む必要がありそうです。


 
   

Posted by Sophiee Winkler at 21:15Comments(0)イベント

2012年09月21日

SLの政治利用



9/12 のSecondlife Herald には今盛りの米国大統領選挙の共和党の副大統領候補であるポール・ライアン氏に関する記事が掲載されています。ヘッドラインは「SLはポール・ライアンのウソの垂れ流しを始末することができる」というもので、これだけ読むと何か副大統領候補がSLに不利な発言でもしたのかなと思いました。でも、全くそんなことではありませんでした。そもそも大統領選挙にとってSLは何の影響力もないし、選挙民も今更SLなんて持ちだされても、何のことか分からないはずなので、変な表現だと感じました。

実際の記事の意味はポール・ライアンが大統領選挙キャンペーンでいっぱいウソをついているが、彼は自分のアバターを作ってSL内でRLでは出来もしないことを、SLで尻拭いのために実現してみせることが出来るという趣旨でした。

酷い記事ですね。第一に、RLの政治家を批判するためにSLを引き合いに出すのはSL側からみれば迷惑な話です。Secondlife Herald の主筆のPixleen Mistral は民主党派なんでしょう。SLユーザーにとっても、RLの有権者にとっても何の意味もない内容です。

第二にSecondlife Herald はSLや他の仮想世界の事柄を記事にするのが目的であったのに、RLに影響を与えることを意図して記事を書くというのは本末転倒ではないかと思います。

ただ、SLの中に共和党の支持者であるユーザーが作った選挙キャンペーン用のSIMもあるのです。この辺りは政治というものが庶民のなかに深く根付いている国ならではですね。4年前の大統領選挙ではSLの中に候補者のオバマ氏が現れて、何もしないで座っていたという出来事もありました。今回は大統領選挙キャンペーンにちなんでポール・ライアンのアバターにずっとマラソンをさせるというアイデアも載せてありました。

さすがに読者も呆れたらしく、「Pixleen、外に出て新鮮な空気を吸った方がいいよ!」とか、「何カ月も新しい記事を載せないでいると思っていたら、突然政治ブログ化したのかよ。」という意見がよせられていました。

まあ、ブロガーの立場からいえば、本当に書くことがないときはこんなことになってしまうという例ですね。  

Posted by Sophiee Winkler at 00:26Comments(0)イベント

2012年03月24日

プレミアムの探険(3)



「ソフィーのアバター日記」で取り上げ、自分で体験してみたPremium Wilderness ですが、これはやはりプレミアムアカウントでなければ入場できないものでした。Tateru Nino
はこの世界について「探険自体は楽しめるものだが、これがあるからプレミアムアカウントにアップグレードすべしとお勧めすることはできない。」と述べています。

具体的には、密林の動植物や景観、サウンドなど、丁寧にはつくってありますが、特にプレミアムでないと体験できないというほどのものではありません。昔あった、あ、今でもある秘境スバルカと同じくらいか、それより少しいいかなといった程度です。

Dwell on it の記事には多くの意見が寄せられていて、概ねこういう評価なのです。つまり、最新のテクノロジーが使われている訳ではない。例えばメッシュオブジェクトなんかないし、突然嵐がやってきたり、スコールが降るわけでもなく、落とし穴にはまって串刺しにされたり、猛獣に襲われるわけでもない。精々気持ちの悪い虫やネズミ、蜘蛛、蛇といったものが飛びまわっている程度なんですね。ワニなんかじっとしているだけ。

読者の書き込みの話題はこのようなPremium Wilderness の評価から、次第にプレミアムアカウントそのものの意味に移ってきています。つまり、そもそもリンデンラボはプレアカをどうしたいのか、これが未だに分からないということ。

リンデンラボの二代目社長はプレアカには意味がないと言って、どんどん数が減ってくるのを放置していましたね。今はもう6万くらいになってしまったのでしょうか?もしプレアカを増やしたいのなら、今回限定的に普通アカウントの人にもPremium Wilderness を公開すべきだし、もっと技術的に高いものを見せるべきですね。

読者の一人はリンデンラボが陥っているジレンマについて言及していました。リンデンラボがプレアカにせよ一般にせよユーザーに無償で提供する体験は、それが優れたものであればあるほど、一般のクリエーターと競合することになるというのです。つまり一般のクリエーターや不動産業者が提供するものより優れたものがリンデンラボから無償で提供されると、それらの人々の作品や土地は売れなくなるということですね。

かといって、適当なものしか提供しないのであれば、プレアカとしてお金を払っている意味は薄れるし、SL自体のプロモーションと言う意味からも魅力が乏しくなるというわけです。まあ、いちユーザーとしては適当に楽しんで飽きたら戻ってくるだけですね。今回リンデンが頑張った点は60人くらいまで入場しても大丈夫なようにサポートしてあるということなんです。でも今日入ってみたら、ほとんど人がいないのに二人ほど固まっていましたけれど。
みんなの意見を読んでみたい人はこちらです。

http://dwellonit.taterunino.net/2012/03/19/second-lifes-new-premium-wilderness-in-a-nutshell/#more-5478
  

Posted by Sophiee Winkler at 00:17Comments(0)イベント

2011年09月21日

自分を作る



今、自分をつくろうというキャンペーンがリンデンラボによって行われています。これはユーザーが自分の写真と自分に似せて作ったアバターを公開して、そのそっくり加減を比べるというものです。

http://secondlife.lithium.com/t5/Featured-News/Casting-Call-Apply-to-Star-in-a-New-Second-Life-Video/ba-p/1090165

なんかSLをFacebook 化することでユーザーを広げようという意味なんでしょうか?確かに面白いと思うけど、SLでRLの自分ではない存在になりたいからやっている人の方が多分相当に多いので、大きな潮流にはならないのではというのが私の思い込みです。

私は久しぶりにRaqloqi(今はなんていう名前なんでしょうか?)のあるRac Cityで自分の作ったシェイプに合うスキンを見つけて買ってきました。お金出してスキン買うのは何年振りでしょうか?確かに指折りの一流メーカーだけあって、一段と素晴らしい出来栄えになっています。なかなかこんな風には作れないですね。これを一つの目安としてまた頑張っていきましょう。(最初のSS)

でもシェイプはこのスキンに合わせて別のところで売っていたシェイプよりも私の作った方がぴったり来てますね。因みにそのシェイプをつけるとこんな風になってしまいます。



このシェイプL$300もしました。シェイプには毎回騙され続けています。これはRaCのこの特定のスキンに合うという触れ込みだったのにね。やっぱりシェイプは自作するしかないみたい。

  

Posted by Sophiee Winkler at 10:03Comments(0)イベント

2011年03月01日

ライブのパワー



Mitch Wagnerのブログの面白さは徹頭徹尾ユーザ立場から書かれていることです。Tateru NinoやArpherville Heraldはプロのブロガーとして評論家として書かれています。でもMitchはバランスとか、人にどう見えるかということよりも、自分の本音で書いています。この点はSecond ThoughtsのProkofy Neva と同じですが、Mitchは性格が穏やかなので、本音を書いてもあまり異常なものにはならないのです。英語も分かりやすいので助かります。

さて、Mitchは25日から27日に掛けてSan Diegoで行われたSLの会合と音楽セッションに出かけたKarinというSLとRLの共通の友達からその話を聞ききました。

「イベントのオーガナイザーでありSan Diegoの住民でもあるKarin Willson(SLではアバターAyesha Lytton)はSLでフルタイムで働いている。やっているのは仮想の土地の売買業と二つのライブミュージックの会場を経営しており、RLとSLの音楽家達のPRやマーケティングをしている。

彼女はこのメディアが音楽家の創造性を向上させ世界中の聴衆にパフォーマンスを届けるのに力があると確信している。そして音楽セッションが多くの人に仮想世界の価値を気づかせるのに役に立つと考えている。

彼女のゴールはMixed Reality Events がメインストリームとなることで、それはRLのライブのコンサートやイベントがSLのクラブや音楽会場で流され、逆にSLがTVスクリーンに映され、RLの聴衆が仮想世界の聴衆に繋がるのを目の当たりにすることなんだ。」

私は以前Rosedale が同じようなことを言っていたときには、例によって適当なことを言っていると思っていましたが、質の高いSL内のライブを見てこの意味が理解できるようになりました。

ここは表現よりもコンテンツとして難しく、考えさせる部分が多いのでちょっと小休止。  

Posted by Sophiee Winkler at 11:01Comments(0)イベント

2011年01月11日

積残しのニュース



 あけましておめでとうございます。昔は15日くらいまでこの挨拶はOKだったとか。年末、年始でRLでいろいろ面倒な仕事があって、それから外国ブログにも面白い記事がなくて更新を怠っていました。

 今日の話題はすでに去年のクリスマスのことなのですが、Joe Linden がいなくなったということです。彼は5年に亘りSLのスタッフで技術とプラットフォームの開発のVPでした。彼がなぜ辞めてしまったのかは明らかにされていません。まあ、語ってもらってもリンデンとの契約で本当のところは話さないことになっているので、意味はないでしょう。

 さて、Arphaville Heraldのクリスマスの記事によれば、2009年の初頭には常時56,000から62,000あったConcurrency (同時ログイン人数)が同年7月以降50,000から55,000の水準に落ちてきました。酷いときには50,000を割っていますが、一応この水準はそれ以降現在に至るまで保たれています。

 私の意識からは抜け落ちていましたが、今のCEOはRod Humble という人なのだそうです。M.Linden(Mark Kingdon)は彼の時代にスタッフの人数を30%くらい減らしました。そのあとで彼自身辞任したのでした。

 Heraldとしては3代目の新CEOがSLを立て直してくれることを祈りたいと述べています。

 私は再建策としてはやはり土地の管理費を半分くらいにして、安く土地を維持していけるようにすることだと思います。それはリンデンの売上減に直結するので、彼等としては選択肢としては考えていないと思いますが、多くの人にログインしてもらい、時間を使ってもらうためには、土地を持ってそこで活動している住人が増えることが必要だと思います。

 今までのSLというのは、実際には広く世界一般の人々に公開されていたわけではありませんでした。Facebook やTwitter の興隆を見ても、人々は繋がりを求めています。だからSLをオリンポスの山の神々の遊び場(あからさまにいうと技術オタクの手慰み)みたいにしておかないで、人間の生活に少しだけ組み込まれた存在にするということが求められているのです。

 Low Spec の廉くて軽いサービスのSim だっていいのです。そこにウェブベースで参加できれば、ビジネスチャンスはもっと広がっていくはずです。
  

Posted by Sophiee Winkler at 12:35Comments(0)イベント

2010年06月04日

W杯の楽しみ方



サッカーのW杯がもうすぐ始まります。終わった後であれこれ日本の選手や監督や協会を批判するのはちょっと卑怯な感じもするので、前もってひとこと言っておきましょうね。

今の時点で今回の日本代表の戦績がどうなるかを予想しておきましょう。3敗、もしくは1分け2敗で敗退というのが私の感覚です。根拠はあまりないけど要するに弱いということです。

この10年ほどの間に日本はどんどん実力を落としてしまいました。細かいことは色々あると思うけど、その根本原因は以下のようなものだと思っています。

(1) 選手の体力・体格の増強に力を入れてこなかった

基本的には世界と比べて選手の身長が低すぎて、体力も劣るので力負けしてしまいます。それでも小さな選手を使い続けるのは、きっと日本の協会や監督も小さなオジさん達で、背の高い選手にコンプレックスがあるのでしょう。

マラドーナやジーコやメッシはどうだと言う人がいるでしょうが、マラドーナやメッシが日本にいるならどうぞ使って下さい。私は実力でなくて、小さいということだけで使っているのではないかと思えるくらいだと言っているのです。特にディフェンスが世界標準から比べて小さいですね。それなのに自陣のゴール前でヘディングでクリアしようとしてボールを高く上げています。敵にパスしているのと同じなのですが。

もちろん、小さな体で頑張っている多くの日本人選手を見ると涙が出そうになります。でも、勝敗ということを第一に考えるのがW杯。国内でどんなにいい成績を収めていたとしても体力に劣る日本人選手は海外1流リーグでは通用しません。中村俊輔はスペインは勿論、プレミアリーグやセリエAでも通用しないのですね。

味方が小さいとセンタリング上げようとしても囲まれてしまって、どこにいるのか見えないもんね。また、日本人選手は平気でこけます。その間に敵は有利なポジションを占めてしまいます。

オリンピック見ていても分かるけど、階級制でない競技では大きな外国人選手が有利です。日本人の女子がそこそこの成績を上げられるのに男子は全く勝てません。それは外国人との体格差が女子同士では少ないのに対し、男子では圧倒的に違うからです。

(2)ボディコンタクト恐れるチキンなサッカーだった
上記と深く係わっていますが、当然恐くてボディコンタクトをしない日本人選手は多いです。本気で当り合ったら怪我してしまいますからね。サッカーは空間の取り合いと足の削り合いです。自分はFKのスペシャリストなどといい気になっている選手はボディコンタクトを避けることばかり考えています。また、ディフェンスは自信がないのですぐバックパスしています。

 こんな楽な相手はありません。日本のフォワードのバックパスに始まり、キーパーを除く全ての選手が日本のゴールを向いてどんどん進んでいる光景は世界の「傑作」というべきでしょう。そういうことで、ドリブルも下手だし、やろうとしません。

(3)基本的な技術がない
トラップが下手です。海外組ですら、トラップしたボールが5M位はねてしまうことがあります。そこを敵に詰められてしまいます。パスを多用するくせにトラップが下手というのは、全く矛盾しています。そこで、コロコロしただらしないパスを使います。「思いやりの精神」ですね。でもこの友愛精神は敵にも及ぼされます。

 同じタイミングの精度の悪いパスを多用するので、インターセプトされます。

 シュートが空高く上がっていきます。枠に飛ばせません。鋭く踏み込んで自分の膝下にボールを入れないのでそうなるのかなと思います。いっそのこと足の裏でシュートして欲しい。

 やはり体力がないのでシュートは遅いし、大抵は当たり損ないの情けないシュートです。たまたま入るというのが実態でしょう。

 ボールをもらってから足を止めてパスする相手を探しています。もらったらすぐ前進し、その過程で出す場所を見つければいいのですが、止まってあたりを見回して、結局詰められてバックパスを繰り返します。


(4)走るだけ
四六時中同じペースで走っているので、前半終了前と、公判15分過ぎくらいにはもう体力がなくなって、足が止まり点を取られてしまいます。相手が本気を出すときに、こっちはヨレヨレになっています。プレーにメリハリがありません。相手が突然ギアを上げるとついていけません。

 一言でいうと自分の力で局面を切り開くという意志が明確な選手は3人くらいしかいません。

 そもそも走っていても本気でボールを取りに行くということは少ないですね。ディフェンスの振り、オフェンスの振りをしているという感じです。

(5)全ては劣等感から
日本のサッカーは組織のサッカーだ等と自分達を誤魔化すことばかり言っているので何が本当のことなのか分からなくなっています。

 個人技は組織プレーでも必要です。個人技がないのに勝てるというのは幻想です。1対1で勝てないので、パスを多用します。パスやトラップの精度が悪いので短いパスで繋ごうとします。そうすると密集して、真ん中に集まり、相手のディフェンスを固める結果になります。大きな展開、サイド攻撃は一発カウンターの恐れがあるので採用しません。

 パスを多用するサッカーにこそ個人技が必要です。下手が集まってボールをつつき合っているのはサッカーではありません。1対1で勝てないのならサッカーは止めるべきです。何かボールをもらうとすぐ誰かに渡さないといけないと思っているみたいです。ボールは時限爆弾じゃないのに。キープできないで相手に取られてしまうのが恐いというのが本心でしょう。

 何時になったら個人技を鍛える積りなのでしょうか?

(6)指導者も協会もだめ
 長期計画がありません。結局往年の2,3流選手がのさばっています。監督を変えることだけが仕事ではないはず。(変えることもできないが。)

(7)反省しない
 負けても誰も責任を取らないし、次につながる反省をしません。「これで終わったわけではないから・・・」という台詞は聞き飽きました。ひょっとすると日本のサッカーは「まだ始まっていない。」のかも。

(8)分析はしていない
 例えばキーパーの楢崎がどれくらい横の動きが下手で、シュートをキャッチしないでパンチングばかりするので、それが結局失点を誘発しているかということを調べて見ると面白いと思います。玉田はチャンスボールをもらっても馬鹿の一つ覚えで、敵ゴールに向き直ることなくバックパスしてから前進をしようとします。自分で突破する気はありません。

 各選手のトラップ能力をボールとの距離で分析するとか、どのような気象条件のときに、誰は何分くらいで使い物にならなくなるとか、そういう緻密なデーターを取って将来の構想や直近の戦術に生かすということ、特に外国人選手との違い等を定量的に把握しないので、何時までたっても劣等感が払拭されないし、変化を生み出し、受け入れることもできません。

(9)マスコミも評論家も仕事をしていない。
ファンや視聴者に正しい姿を知らせるのが彼等の務めのはずなのに、誰も傷つかないコメントを出すことだけに腐心しています。ほとんど勉強していない。最近ようやくサポーターの無知さは解消しつつあり、真実を見つめる目が出来てきたように思います。

 先日のイングランド戦で解説の福西が「引いて守ることも考えるべきだ。」とコメントしていました。イングランド相手に引いて守りきれるのですか、日本は?実際には足が止まって、押し込まれて2点取られてしまいました。押し込まれるのと引いて守るのは違うのですが、結果は同じになったでしょう。

W杯の結果、結局再び世界との差を見せ付けられ、またそれが改善されそうもないことが素人目にも明らかになるので、W杯後の国内サッカーの人気は更に低迷するでしょう。そう、私たちは「サッカーみたいな」球技をお金をとって見せられていたのですが、どうもそれは世界で行なわれている「サッカー」とは異質のものだということに気がつくのです。

今年の「迷言大賞」は「最低でも県外」と「ベスト4」で決まりですね。

さて、以上大の素人である私のコメントを頭の隅において、日本代表のプレーをご覧下さい。どれ位当たるか楽しみです。私自身は、普段見れない外国の強いチーム同士の芸術的なプレーを楽しむことに決めています。  

Posted by Sophiee Winkler at 13:41Comments(1)イベント

2010年06月02日

リンデンプライズ



5月29日のMassivelyの記事では「第2回年間リンデン賞」の最終選考候補10件が発表されています。その中にはSion Chickenも入っています。これについて反対のコメントも幾つか来ています。

http://www.massively.com/2010/05/29/the-virtual-whirl-linden-lab-short-lists-viral-poultry-for-huma/#continued

Patchouli Woollahra
「高く値付けされすぎているニワトリや餌のトウモロコシがどうして選考基準である『SL外での人々の生活を改善した』ことになるのだろうか?RLの農村のよく手入れされた庭と同じくらいの効果しかないと思うけど。」

 Tateru Ninoは同じように考えて、リンデンラボに問い合わせたところ非公式な答えとして「SLの中で始められたビジネスの70%以上は結局失敗に終わるのだから、多くの人に受け入れられて続いているだけでも賞賛に値する。」というのが返ってきたということです。

 Ninoから見るとSion Chickenは「タマゴっち」のヒヨコがプラスチックの容器から出てきたのとあまり変わらないのだそうです。

 賞金はUS$1万ですが、Sion Chickenは十分に儲かっているから別にお金上げなくてもいいのではないかという意見や、いやいや貧乏クリエーターへの補助金というわけではないのだから、貰う資格はあるのだという意見もあります。

 私が不思議なのは、Sion Chickenと同じようなペットは自分でスクリプト組めばできると思うのですね。多分私みたいな初級者でもがんばれば2ヶ月くらいで出来るのではないでしょうか?それならば餌代をどんどん取られることもないし、自分がログインしていないときは、チキンを停止させて地域の負荷を下げることもできます。

 でも、そうしない人の方が断然多いということなので、ユーザーは子どもか時間のない人が多いのかなと思います。リンデンラボはSion Chickenのニワトリや卵の市場についてはその健全性や信憑性について調査したのでしょうか?どうみてもバブルなんですけどね。

画像はチェーンソーアートの工房のサイトにありました。
http://subana.soreccha.jp/d2009-03.html
  

Posted by Sophiee Winkler at 13:07Comments(5)イベント

2010年04月26日

夜のデジアカ



デジタル・アカデメイア学院の4期の授業も終わり、文化祭もほぼ終わり、先日「夜のデジアカ」が行なわれました。会場にはデジタル・アカデメイアを代表する4人の先生達が正面に座り、特に脈絡のないお話を流し続けるという趣向です。

通常は下ネタオンパレードの予定なのですが、今回はShu Hax先生が遅れてくるということもあり、そっちの方の話題が盛り上がらないまま、かなり真面目なお話しになってしまいました。でも私にとっては他の人、特に単なるユーザーでないSL関係者が何を考えているのか知ることができたので、貴重な時間でした。

まず校長先生による現況の理解が示され、それに他の先生が参加し、聴衆が適当に文字で発言するという形になりました。主なトピックは、

(1) SLで日本人が減っているのか増えているのかは不明
(2) 増える方向の明るい材料もある
(3) 日本人の特性は相変わらず
(4) その他

まず、MagSLが事業が縮小されたことが日本人のアクティブユーザーの減少を予想させるのですが、具体的な数字で毎月の増減が押さえられていない以上、想像になってしまいます。

 「神田外語学院」がSLを授業に取り入れて、毎週25分くらいの枠で学校でそこそこのPCを使って生徒さんがログインしているのだとか。SL人口は800人は増えたのではないかといわれています。だいたい10代から20代の女性が70%くらいなんですって。

これによって分かったことは色んな制約からSLに触れる機会がなかった人が断然多かったので、チャンスがあれば興味を持ってもらえるということですね。

一方で日本人は相変わらずヴォイスチャットが嫌いで、自分の土地に引き籠もりがちになる傾向があり、コミュニティの発展性が乏しいということがあります。RLも仮想世界もグローバルそのものであるなかで、相変わらず「日本人Sim」に安らぎを見出している現状もちょっと考え物だとも思います。

でも、SLの使い方は色々あって、海外ではライブ演奏なんか人気は高いですし、先ほどのRLの学校経由の若いユーザー層では、アバターの着せ替えニーズが高まったりするでしょう。だから今は色んな人の色んな使い方を認めて事態の推移を見ているほかはないということでしょうか?

色んな企業や事業者がこの3年ばかり、様々な積極的なビジネスの試みを行なってきましたが、現状ではSLというものが極めて個人の嗜好に依存した、ユーザーを組織化しにくいメディアであるということで、それらのビジネスを指向した動きはことごとく頓挫しつつあるという形です。

しかし、それはSLの終わりではなくて、個人から発する新たなニーズが生まれる時期に来たというようにも捉えることができます。

途中からShu 先生が現れて、場は一気に破廉恥な方向へと変容し、SL酔いのオジサンたちは深夜2時半までおしゃべりを続けたのでした。
  

Posted by Sophiee Winkler at 13:21Comments(2)イベント

2010年03月03日

勝てない理由(4)



オリンピックは終わってしまいました。振り返って見るとそれぞれの人がそれなりに頑張って、私たちもそれを見て楽しむ事ができました。でもストレスは溜まりましたが、それは私の過剰な感情移入せいでしょう。自分が帰属しているグループが優れたものであって欲しいという思いは世界共通で、これがないと共同体は運営していけないのかもしれない。でもそれが過度になると、自分は何もしていないのに、仲間だと勝手に思い込んでいる人達が結果を出せないと非難したりします。これはいったいどういう神経なのか?

人類の黎明期にサバンナで狩猟を営んでいる種族が、優れた代表者を狩りの場に送り、劣るものは部落で彼等の帰りを待っているというのもこんな感じなのかしら?でも彼等はヒーロー達が手ぶらで帰って来たとしても、温かく迎えたことでしょう。「馬鹿!」とか「死ね!」とか言う代わりに、自分も一人前の戦士として戦いの場に参加したい考えたでしょう。

相撲もオリンピックも元来は神々を本来の観客として、人の懸命な営みを披露することで神々を喜ばせ、豊かな収穫が続き災厄が降りかからぬように祈る儀式でした。そこで大切なのは「美しさ」、「勇気と潔さ」、「相手を讃える心」、「全力を出し切ること」でした。報酬は「名誉」だけです。水利や土地の境界など共同体間の争いの解決の方便にも使われることもありました。

さて、次の4年を日本はどのように過ごすべきなのでしょうか?今のままだと五輪前に突然名前を知った選手達が28位とかになって、税金の無駄だとか、やる意味無いとか毒づくことをやはり繰り返しているような気がします。

日本の最大の問題は五輪に対してどのように対処するのかという方針と目的がないことです。五輪は国威発揚の場と割り切って、金メダルを20個取る、30個取るという目的を掲げるのか、あるいは平和の祭典だから参加することで十分と割り切って、あとは選手個人と協会で宜しくやってねというような従来のナマクラ路線でいくのかということですね。

これは実は相当に難しい選択です。国がスポーツに口出しをして、メダル数等の結果を求め出すと、結果的に負の側面が強く出てくることになります。その一番の例は昔の共産圏諸国、特に東ドイツ等のドーピング問題でした。韓国なんか共産圏でもないのに審判を買収したことがバレてしまいましたね。今後は幼児のDNAを分析して選別に利用する等ということも出てくるでしょう。

メダリストに対する報酬や特典も大幅に引き上げられて、益々アマチュアリズムが形骸化して、スポーツをタレントや政治家になる手段と考える人や、プロ化してお金儲けをしてさらに優秀なコーチを雇ったり、設備投資をしたりという「ビジネス化」が進むことも想像に難くありません。それは先日来述べている一部大企業によるスポーツの「私物化」を助長することにも繋がります。

日本は、他の様々な国家的規模の課題についても同じなのですが、このような意思決定を避けてというか、そういう問題の存在をあたかも存在しないかのように振舞って、自然体で結果を受け入れるという癖のある国家であり国民であるのです。

石原都知事は「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ。」と言い放ちました。彼は多分メダリストの懸命のパフォーマンスやそのための努力ということには興味がなくて、ただ結果だけに関心があったということです。そういうスタンスであれば、この際五輪招致に大金を使うのがいいのか、そのお金を選手の育成と強化に回すのいいのかについても明確に意見を述べるべきですね。都のお金は都で土建工事をやるために使い、選手の育成は国任せだから関係ないというつもりかな?いずれにしても累積債務70兆円の自治体の長が、さしたる戦略も勝算もないままに、更に五輪招致にお金を使うというのは、「こんな馬鹿な自治体はないよ。」というべきでしょう。

まず目標を決める。メダルを追求しないのならそう言う。メダルが沢山欲しいのであればそのためにどのような戦略と手順でそれを実現するのかを考え、計画に従って行動する。つまりほとんど戦争と同じような準備と集中力を求められる国家的プロジェクトということになります。

私は日本人というのは自分達では勤勉で優秀だと信じていますが、実は相当に愚かな怠け者で、特にものごとを突き詰めて考えるのはやりたくない、そういうのは誰か別の人に御願いしたいという人種だと考えています。なるべく価値判断を避け、自然に結果が出るに任せ、選択肢が無くなってから初めて行動する。こういう適当な生き方で何千年もしのいできたというのは他の民族や国家から見たら奇跡以外のなにものでもありません。

同じようなインターバルで行われているサッカーのW杯に対する協会や監督やマスコミ・ジャーナリズムの行動を見ていると、あまり期待できないのではないかと思うのは悲観的すぎるのでしょうか?

SSは最近いじっている自作スキンです。昨日は顔だけ変えたので、首のところの色がずれています。
  

Posted by Sophiee Winkler at 13:02Comments(2)イベント

2010年03月01日

勝てない理由(3)



連日無責任なことを書き散らしていますが、そもそもこんな話題になったのは私の中でずっと不満というか鬱屈したものが溜まっていたからです。それを突き詰めていくと、「何故誰も本当のことを言わないのか?」という疑問に行き着きます。

選手本人が自分を鼓舞する、監督が選手を勇気付けるというのは当たり前なので、嘘とか本当とかは関係ありません。しかし、解説者、評論家、報道関係者といった人々はその職業の要請として、なるべく本当のこと、自分の信ずるところを一般に開示すべき義務を負っていると思います。タレント紛いのアナウンサーや単価の安いだけで引っ張ってこられた場違いなコメンテーターはまあ、脇の方に掃き寄せておくことにしましょう。

結論から言うと、プロとしてのスポーツ評論家、解説者というものは日本ではまだ十分に独立した存在として確立されていないのです。狭い村落共同体の出身者が自分の属した場所について客観的な論評を加えることなどできません。「この選手のスポンサーのサポートは不十分、監督は技術的に何十年前のことしか知らなくて、選手本人もろくに練習もしてないのに高望みばかりしている。」なんて言えませんよね。まあ、全くの部外者でもここまでは言えませんが。解説者は、後々選手や監督やコーチに取材しないといけないし、何も知らないファンからはたとえ真実を伝えたとしても、猛烈な抗議が殺到するでしょう。

だからTVの解説者席では極力当たり障りのないコメントをして、結果が思わしくないときには「本調子でなかったですね。」とか「ちょっとタイミングが狂わされてしまいました。」というような「誰も傷つかない」コメントを適切に選択することに腐心します。

では何故この相手を思いやる麗しいコメント、村落の平和をまもる当たり障りのないコメントがいけないのでしょうか?それはそれらが真実を覆い隠し、益々視聴者の誤解を深め、勝利への対策や、将来への展望を明らかにもしていないからです。現状こんなもので仕方がないという諦め、一度ありついた食卓からは離れたくないという保身、そのようなところから出てくる解説には殆ど価値はありません。

もちろん自分の地位を確立できている解説者は客観的な真実を伝え、それに対する自分の見解も披瀝し、私たちの認識を正しいものへと導いてくれます。そのような解説者が今回の冬季五輪でも何人かは存在していることも分かり、いささか慰めを感じています。

でもこの問題はSLの土地政策がとか、リンデンの懐勘定といったことよりはるかに複雑で、考えるべき要素が一杯詰まっていますね。ちゃんとアプローチするのにはお金も時間も掛かるでしょう。オリンピック招致なんかより選手の強化にお金を使えとか、国家としてスポーツ振興と国民の健康福利といった問題にどのような国家戦略で臨むのかといった大上段に振り被った議論にも繋がっていってしまいます。まあ、ブログのテーマとしては重過ぎるのかしら?

浅田さんは残念でしたね。フィギュアの場合は総合芸術みたいになってしまって、様々なコーチや、施設、音楽、衣裳と言った要素だけでなく、4年掛けてどうやってスポンサーや国の援助を集め、審査の動向の変化などを読み取っていくかというプロデュース機能が必要になってしまいました。戦略と戦略家が必要なんです。何年も前から力があればという世界ではなくなったのですね。「アマチュアの祭典」などという言葉も死語になってしまいました。

ジャンプ、表現と言った一つの要素、一人のコーチだけに集中しないで、自分がどうしたいのかをはっきりさせるとともに、自分の判断だけに固執することのない柔軟性を身につけなければ、今までの多くの涙を呑んだ日本の金メダル候補の轍から踏み出すことはできません。  

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2010年02月25日

勝てない理由(2)



昨日の続きです。私たちは自宅の居間やネットカフェで冬季五輪や世界陸上や世界水泳の番組を見ながら、「馬鹿!」とか「死ね!」とか叫んでいますね。その多くは応援している側の選手や、監督や、コーチや、アナウンサーや解説者に向けられています。でも実際には彼等は馬鹿ではないし、寝そべりながらお煎餅を撒き散らして叫んでいる私たちより、何千倍もその競技について知っているし、血のにじむような努力の果てにその場に立っている卓越した人達なのです。

それなのに私たちは何故そんな風に感じてしまうのでしょうか?このギャップがテーマです。一つにはお馬鹿なのはやはり私たちで、断片的な情報しか与えられていないし、何の経験もないのに自分の方が競技者や審判や監督よりもその競技について詳しく知っていると錯覚しているという場合です。全く救いようがないですね。まあ、その感情移入がスポーツの楽しさのひとつには違いないのですが。

でも、これがスポーツ観戦くらいならいいのですが、国と国との戦いになると大変深刻なことになります。祖母に聞いたことがありますが、真珠湾奇襲成功の一報があったときに、一般の国民は祖父母も含めて「やった!」、「ザマを見ろ!」と喝采を叫んでいたそうです。そうして戦争に負けると突然多くの人は「被害者」になって、「天皇の戦争責任」を論じる評論家に目出度くご変身なさったということです。ちょっとTVを見て新聞や雑誌を読んだくらいで簡単に「専門家」気取りになってしまう私たち。発展途上国になるほどこの傾向が強いのですが、日本はこの面では未だに客観的な報道や批評が根付いていない途上国のレベルですね。

しかし、これだけでは説明しきれない状況が起きるときも少なくありません。例えば何故か監督は硬直した判断を維持し続け、大方の予想通り負けてしまうという場合です。明らかに状況が変わってきているのに、自分の立てた作戦に固執し、無様に粉砕されてしまう監督やコーチ。素人以下の判断能力しかないみたいに見えてしまうのは何故なのか?彼らの頭の中では何が起こっていたのでしょうか?この辺りもちゃんと研究する人が欲しいのですが、あまりいないようですね。

私がこの短い時間と紙幅の間に大雑把に仮説を立てるとすると、まず監督はすべて分かっているのに硬直した対応を続けざるを得ない、何者かによってそのように束縛されている場合があります。次に別にそのような外部からの働きかけはないのに、監督自身脳が筋肉化していて、自分の立てた戦略や、作戦や、お気に入りの選手と心中してしまうような場合です。

前者の場合の立役者は協会やスポンサーです。自分達の育成した選手を絶対に使え、スポンサーの開発した用具、商品を使え、他社に所属している選手は使うなというような「スポーツの私物化」が五輪の現場でも起きています。極端な場合にはしっかりとした勝つための戦略や方針を持っている人物を監督候補から外し、自分達の意向に諾々と従う者を監督に据えるというようなことを協会のオジサンたちはやってのけます。

大体昨日述べたようにそういう私物化は選手選考の過程で既に始まっているのですから、本番にまでそれが及ぶというのは当たり前で、監督はたまたま相手がこけることを祈りつつ、無謀な戦いを受動的に遂行するという選択肢に身を委ねます。太平洋戦争の日本陸軍の現地司令官は概ねこのパターンで、「玉砕」という言葉が今でも日本のスポーツシーンに受け継がれているのは、根拠のないことではないのです。

このような監督に必要な資質は「自分で自分を誤魔化す能力」で、前回ワールドカップのジーコ監督もひょっとしたら始めから存在していなかったかもしれない「日本への愛情」とか「プライド」をもっと具体的な数えられるものと交換できたので満足だったかもしれないですね。割り切ってしまえば監督業もうんと楽になるという例です。

次に本当にお馬鹿な場合です。例えば自分が育成したり、開拓したりしてきた選手や戦術を相手チームや、自分のチームの状況に全く合っていないにも係わらず使い続けようという場合です。全日本女子のバレーチームのY監督なんかは明快なサンプルです。

こういう監督の場合は結局「自我」が強すぎて客観的に物事を見ることがある時点からできなくなっている、あるいは自らの成功体験に拘束されて、大きな変化にチャレンジすることができないということでしょう。サッカー日本代表の岡田監督は上記2種類の折衷型になります。脱線しますが、今回のW杯ほど技術的な準備や作戦がない状態で臨むというのも珍しいですね。映画の「ラスト・サムライ」の再現をやろうとしているのでしょうか?

これらの監督の意識は「勝つ」という一点に集中してゼロベースで必要なことを考え手を打つということにはなっていません。前者の場合は、頼まれたからその制約の範囲で引き受ける、結果が出ないのは自分のせいだけとは言い切れないというもので、コミットメントというものが欠如しています。彼らの心の中にはどうせ協会が全部牛耳っているのだからという言い訳が最初から用意されているのでしょうね。また、後者の場合は全部自分の思い通りにやるということが先に立っていて、それで勝てるかどうかの客観的な判断ができないので、永久に同じ誤りを繰り返すということになり、それが私たちには馬鹿に見えてしまうわけです。

監督というのは孤独な仕事です。方針は出さなければいけないけど、本心は出せないという使い分けを強いられます。色んなところから圧力が掛かります。今日調子のよい選手でも次回同じレベルで働いてくれるかなんて全く分かりません。打てる手は限られています。結果だけで評価されてしまいます。手駒も準備も既に別の誰かが引いた線路に沿って走っていくしかないのです。生贄のヤギ以外の何ものでもありません。

でも、そのような不条理のなかで不貞腐れてしまわないで、自らの信じるところにしたがって協会やマスコミや選手と闘って捻じ伏せていく、それが出来る人でなければ監督など引き受けるべきではないと思います。仮に全ての戦いに敗れたとしても、その意図を伝えることができれば、観客やサポーターは拍手を送ってくれるでしょう。協会は?さあ?

まあ、この協会という代物が諸悪の根源でもあり、また成功の鍵を握るところでもあるし、その実態をつぶさに見るということも普通は経験できないので、なかなか悩ましい存在ではあるわけです。一種の官僚組織として評価するというのが一つの切り口にはなると思います。しかし、この難物に取り組む前に解説者、評論家のことを考えてみたいと思います。
  

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2010年02月24日

勝てない理由



今回の冬季五輪も悲喜交々のドラマを見せてくれています。特に日本は例によって本番に弱い本性を遺憾なく発揮して、評論家は連日無意味なコメントを連発し、視聴者はストレスを溜め込むばかりです。

でもよく観察していると、一様に駄目ということではなくて、駄目さにも色々あることが分かります。例えばマイナー種目とメジャー種目では駄目になってしまう理由が違うのです。

何がメジャーで何がマイナーかというのは定義は難しいのですが、ここでは便宜上過去に日本がオリンピックでメダルをとったことがある種目はメジャーだということにしましょう。

そうすると女子フィギュアスケート、男子スプリント、ジャンプやノルディック複合等はメジャーということになり、スケルトン、リュージュ、ボブスレーといったものはマイナーということになります。

もちろんこのような単純な色分けには無理があり、スケートのショートトラックなんかは昔はメダルをとったこともあるのに、相変わらずマイナー感いっぱいですし、スノーボードのハーフパイプ何か、オリンピックとは無関係に発達してきているので、どっちとも云えないでしょう。

さて、マイナー種目であることの悲哀は随所に見ることが出来ます。機材の重量の設定を間違えた、型式認証をとっていなかった等々ですが、これらの悲劇の多くは、選手は勿論のこと、コーチや監督も実はお金のないなか見よう見まねで細々とその種目を続けてきただけで、世界の趨勢を知らないし、情報が決定的に不足している、また英語も実はよく分からないといった基本的な部分で既に負けているといったことに起因しています。無駄な努力を延々と繰り返す時期が続くということになります。

これはある意味仕方のないことで、国全体としてその種目にお金や人材を注ぎ込んでいないのだから、始めから結果は見えているということになのです。これらの人々は将来のための「捨石」であって、その表現が失礼というのなら、将来の繁栄のための「種火」とでもいうべき存在なのです。だから失敗して成果を出せなかったからといって、この人達を責めたり、罵ったりするのは控えるべきでしょう。この人達はたとえ将来その種目がメジャーなものになったとしても、それでご飯を食べることもできず、後から出てきたメダリスト達からでさえ口先の敬意しか払ってもらえない損な役回りなのです。先駆者とはまず、野に屍を晒す人達のことです。今の日本の体勢では本当のスーパースターが出てくるまで待つということになります。

日本は人口はそこそこいるのですが、日本人の特性なのか、どんなところにも首を突っ込んでマイナーなスポーツをやりたがる傾向にあります。ほとんど体格で決まってしまうような分野にでも進出していって、何十年間も徒労を繰り返しています。しかし、ある意味それはスポーツに対しては純粋な姿勢で、別に勝つためだけにやっているのではなく、「自分達が気が済むから」やっているということになります。したがって観戦する方の私たちは、今それをやっている人達が「勝つために」やっているのか「気が済むから」やっているのかをよく見極めておく必要があり、自分がそこを見誤ったのに、プレーヤーや監督を非難するのはおかしいのです。

このように日本に一定人数しかいない運動神経が非常に発達した人々は、日本では必要以上に多くのマイナーとメジャーの種目にばら撒かれているので、どの種目をとっても世界との競争に勝つことは難しくなっているのです。翻って他の国を眺めると、必ず自分達の得意な種目に多くの人材を集中していることがわかるはずです。英国ではラグビーやサッカーに人材が集中しているし、北欧諸国では冬季五輪種目と水泳くらいのものでしょう。

つまりそれぞれの国が身の程をわきまえて、「選択と集中」路線を選んでいるのです。日本ではそのような戦略的な意図というものは誰も持っていないので、野放図に対象種目が広がっていきます。確かにそのお蔭で「ホットドッグ早食い世界チャンピオン」が輩出したりすることもあるのですが。いずれにしても人材の配分という観点からは、日本はまるで自国が米国、中国、ロシアといった大国であるかのような欲張り路線を歩んでいるということになります。

さて、話をもとに戻して、メジャーになってしまうと何故駄目になるのかということです。マイナーで駄目で、メジャーでも駄目なら救われようがないのですが、確かに現状は救われ難い様相を呈しています。

メジャー種目とは何かというと、それで五輪や世界大会で選手にメダルを採らせることによって何らかの「商売」に繋げようという動きが出てくるということです。コーチとして街の何とか教室を主宰することから、実業団チームの指導者になること、TVに出て脳科学者のお先棒を担いだり、講演をして回ったりする、あるいは企業として製品のイメージを上げることにそのプレーヤー使うということになります。

そうなるとどういうことが起きるかというと、大資本がそこに入ってきて、自らの主催する実業団チームの選手を五輪候補として強引に押し込むということが起きます。実際シドニーの女子マラソン金メダリストである高橋選手は、そのような巨大資本の横暴の前にアテネ五輪出場を断念させられたのでした。

この大資本の関係者の目的はその種目を盛り立てることでも、選手にメダルを採らせることでもないのです。もちろん取るに越したことはないのですが、とりあえず五輪に選手を出場させられればいいのです。その結果どういうことが起きるかというと、他の組織に属する有力な選手を押しのけておいて、自社の病気、怪我持ちの選手を押し込んで、本番でリタイヤさせるということを繰り返すのです。スポーツの世界を私物化しているといってもいいでしょう。そうして評論家もこの横暴に目を瞑って、心にもないコメントを繰り返すということになります。

このような観点から各種目を分析したものはありませんね。私のような素人ではなくてちゃんとしたジャーナリストがこのタブーに挑戦すれば随分と面白いお話が書けるのではないかと思っています。

次回は「監督と評論家は何故馬鹿なのか?」についてです。
  

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2009年12月08日

スピードの記憶



Alphaville Heraldの6日の記事です。レースドライバーで有名なGreg Draymanが11月の最後の日にリンデンラボによってBanされました。また、レース場であるKokopelli Raceway Park(KRP)のオーナーも同様にBanされたのです。リンデンラボに対する彼等の抗弁は2日に棄却されました。

容疑はCopyBotを使用したこと、あるいは「別のやり方でパーミッションシステムを免れようとしたこと」だそうです。後者は分かり難い表現ですが、要するに何かを違法にコピーしたということですね。DraymanはCopyBotの使用の事実を認めましたが、それは個人的な用途のためだと反論しています。

レース場でCopyBotを大量に使うと何がいいのでしょうか?ちょっと分かりません。観客がそこそこいないと寂しいですからね。かといってBotsが多すぎると車が動き難くなるでしょうから、自ずから限度があるはずです。むしろ万一レースを使った賭け事などをやっていたとしたら、そちらの方が問題であるはずですが。

Gregをよく知る人は今回のリンデンの措置は不公正で、実際に犯した罪とその罰との関係がバランスを欠いていると非難しています。

このレース場でのレースは大人気で20名以上のレーサーが複数のクラスに分かれて週2回、1日6時間以上もぶっ通しでレースを繰り広げていたのだそうです。

よく考えないでこのようなエンターテインメントを取り去ってしまうのは、利口な決断とは言えないし、その結果がリンデンラボ自身を含んだ誰に利益をもたらし、損失を与えるのかもろくに考えないで、サービス規約の強引な適用だけを優先するというのが今のリンデンラボの考え方なんだろうと、記者は結んでいます。


  

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2009年12月01日

一同、頭が高い!



Princess Yaximixcheと呼ばれる方は主にFacebookやTwitterで活躍されていましたが、このたびSLに進出なさって、SL漫遊の旅をはじめられました。この方はYaximixche王室の王女様なので、呼び掛けるときもHow are you?では駄目で、How are your Royal Highness?と言わなければなりません。つまりダイアナ妃と同じ扱いなんですね。

このHRHはHer (His) Royal Highnessと言って、日本語では「(妃)殿下」に相当します。「彼女のハンドバッグ」というときもher handbag ではなくて、Her Royal Highness’es handbagと言わないと王国の臣民から軽蔑の眼差しを投げかけられてしまうでしょう。本当に面倒です。



彼女のファーストネームはManqoです。カタカナで書かないようにしましょう。また呼びかけるときも、ファーストネームを叫ぶと変態の狼藉者だと勘違いされて、衛兵に槍で突き殺される恐れがあるので、Your Highness,と呼びかけましょう。

因みに、国王や皇帝の二人称の尊称はYour Majesty(陛下)、大臣、将軍、大使、知事にはYour Excellency、枢機卿に対してはYour Eminence(猊下)となります。三人称ではYourをHis またはHerに代えます。



王女は早速SL Gridの各地で住民と対話をはじめられ、リンデンラボの横暴に大変心を痛められ、先頃リンデンラボに対し住民をもっといたわり、財務状態について透明化するように申し入れられたとか。水戸黄門様みたいですね。

王女の活動の主目的はCharity、慈善です。また、王国の公式サイトからYaximixche王国の臣民になることも可能です。SLでは早速王女様に土地を献上した者が現れたようです。

SLにおける住民は核になるコミュニティーやリーダーが不在でしたが、今回の王女の活動をきっかけに、王女をオピニオン・リーダーとする運動が展開されるのではないかと期待されています。

一方で、王女に対しSLのGriefer達が様々な悪戯を仕掛け、王女の親衛隊との間で闘いが勃発するのではないかと懸念もされます。

Princess Yaximixcheとその王国に対する情報を得たい人は以下のURLから。

http://princess-manqo.blogspot.com
http://www.ireport.com/docs/DOC-127483
  

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2009年09月11日

2年経ちました



今日は何の日でしょうか?そう、私がこの「おカタイのが御好き?」というブログを始めたのが07年の9月12日。だから今日で2年が経って、明日から3年目ということになります。

もう一つの「ソフィーのアバター日記」は9月10日に始めたので、こっちの方はもう2年以上経ったということですね。

え~、「おカタイ」方が今のところ通算で20万アクセスを越えたところで、一年当たり10万アクセスということですね。でもこれはページ・ビューの数なので、コンスタントな読者は200人強といったところでしょうか。芸能人の人では一日に10万とか、100万とかアクセスがあったりするので、とっても少ない数です。

まあ、世界が仮想空間に限定されているし、書いている内容もおカタイというか、ある意味娯楽性に欠けるので、一般受けしないのでしょう。でも、これは「日記」を始めて、それには書ききれないことを書いてみようと思って、2本は無謀かなと思いながら始めたのでした。

最初は自分の主張だけを書いていましたが、そんなものは限度があるし、客観性も乏しいので、しばらくしてからリンデンブログや外国のSL関連、仮想世界関連のブログから面白いものを訳すということも加えました。

日本のブログは主に日常とか、心象風景的なサラッとしたものが多いのですが、このブログはなるべく自分の主張や考えを理屈をつけて述べるようにしているので、どちらかというと外国のブログに似ているし、日本では異色だと思います。

外国のブログはSL関連といってもジャンルが多岐にわたっていて、本当に様々なニュースや情報や、主張に触れることができます。日本のユーザーとしても是非知っているべきだと思うことを選んで、また日本では想像もできないような意外なテーマなどを訳したりしています。

SLのことを知らない人がSLって何だろうと思ったときに、私のこの2本のブログをザッと読めば、短時間にかなりのことは理解できるのではないのかなと自負しています。

副産物としては、読者の方々から時々私のしらないインプットをもらえることと、私自身の英語を読む速度が、以前米国の学校に居たとき並に速くなったことですね。慣れてくると英語を縦に読むことができるようになります。目を上から下に動かして読むのですね。余計な部分が自動的に目に入らないようになるので、できるのです。

さて、今後もこのブログを続けていくのかどうか?これはなかなか難しい問題です。ただ外国ブログを訳すだけだと、プロの翻訳家の方が断然正確で上手だと思うけど、そういう人でSLやっている人はいないでしょうね。そういう人は活字や映画を見ないといけないので。まあ、私もあきれば辞めてしまうのかな?

私はどんなことでも始めたら2,3年は続けることにしています。そうすると思いもしない効果が得られるからです。転職なんかもやはりそれくらいの期間は我慢しないとキャリアとして身につかないですね。このブログも多くの人が辞めてしまうなか、なんとか2年も続けることができました。読者の反応なんかも励ましになりますね。

でも、ネタには毎日困っているんですよ。書く対象をRLにまで広げれば幾らでも書けるし、お金をとれるようなことも書けると思いますが、それをやると職業になってしまうし、SLが脇に追いやられてしまうので、ある意味適当にやっているのです。SLにしてもブログにしてもある種のストレス解消なのかもしれません。お付き合いして頂いてありがとうございます。
  
タグ :2周年

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2009年09月02日

反省しなさい



Hypergrid BusinessにDennis Shiao記者が「仮想世界のイベント完了報告」と題した記事を載せています。Debriefという言葉を使っていますが、これは特殊なミッションを帯びた者がその首尾を帰還後報告するっていう感じです。ちょっと大仰な言い回し。SLの中でも数多くのイベントが日常的に挙行されていますから、それを主催したり運営したりする人には参考になるかも。

第二次大戦前後にアメリカの哲学者でGeorge Santayanaという人がいたそうですが、その言葉として、「過去を覚えていない者は、その過去を繰り返すように運命付けられている。」というのがあります。これは仮想世界の様々なイベントにも当て嵌まることで、過去といってもかなり最近のことですが、それすら覚えていないという人が多いが、イベントをやったら、それからちゃんと教訓を学んで次のものがもっとよくなるようにしなさいとDennisは言いたいのですね。

「仮想世界のイベントはマラソンのフィニィッシュラインを通りすぎるのに似ている。一生懸命働き、訓練も一杯やって、今や休息とリラックスの時が訪れている。しかし、往々にして我々のチームは、今終わったばかりのイベントを振り返る時間もあまりないままに次のプロジェクトに向けて進んでいかなければならないことになっている。イベント・ショーの主催者として、あなた自身が反省会を開いて、レースを振り返りながら半マイルほどクールダウンのための駆け足をするのだ。」

で、何を考えるのかというと、

(1) ゴールが達成されたかどうか
感覚的なものだけでなくて、ちゃんと数字で掴みなさいということですね。例えば来場者の人数とか、イベントにともなう商品の売上とか、参加者の満足度とか、そういうものを予め決めておいて、その計測方法も定めておく、数値目標も決めておいて、それがどれくらい達成されたかで判断するということです。

(2) 何がうまく行ったのか
成功したとして、それがうまく行った要素がある筈ですね。音楽イベントなら音楽そのものが好評だったとか、事前の告知を今まで以上に広範囲にして、その中に効果的なチャネルが見つかったとか、リハーサルをちゃんとやってスタッフの動きに齟齬がなかったとか、スクリプトで動かないものがないようにしていたとかですね。

(3) 何がうまく行かなかったのか
これが最も大切で、次のプロジェクトに取り組む際には必ず克服しなければならない点ですね。パフォーマンスは高いけどルーズな出演者が多くて時間通りにログインしてこなかったとか。運営方針でスタッフが割れてしまったとか、Grieferの排除係を決めて置かなかったとかです。一般的によくある阻害要因としては、

① リードタイム(この場合準備期間)が短すぎた
② スタッフ間のコミュニケーションが錯綜していた
③ 様々な人的エラー
④ 目的と出し物の不一致
⑤ 技術的問題を未解決のままにした

等だそうです。

まあご尤もなんですが、これって別にSLに限らずRLでも同じことがいえるでしょうね。SL独自のポイントなんていうのをもっと掘り下げて欲しかったです。SLとRLの大きな違いはやはり参加者の人数がSLでは今のところどうがんばっても300人くらいで、これは4つのSimの境界に会場を持ってきてなんとか達成できますね。

人数がこの程度なのでイベントそのものでお金を稼ぐというのは無理があります。そうすると出演者もスタッフもボランティアですから、命令一下一糸乱れずというわけにはいかないでしょう。スタッフの動機付けもお金の要素が欠けると長続きしないのではと思います。世の中お金の遣り取りがあれば、嫌な人とでもおつきあいするのが普通ですね。SLはそれがないところが、ある意味純粋だけど、結合力が弱いことは否めないでしょう。

逆にRLでは明確なアウトプットを求められるので、チケット売り切らないといけないし、会場もばっちり押さえないといけないし、スポンサーも大所を確保しないといけないし、警察に届出しないといけないし、メディアへの露出が勝負だったりします。うんと大変そうですね。タダはタダなりに、有料は有料なりに悩みは尽きないというわけでした。
  

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2009年06月25日

SL6周年



SLの6周年の記念式典が開催されています。去年は日本からも参加した人が多かったし、私もRosedaleのスピーチとかブログで訳したりしてました。イベント会場にも出かけてみました。今回はなんかノーマークでしたね。とくにお知らせも来なかったし。

去年はそれまでボランティアが主導していたイベントをリンデンラボが取り上げて、色んな規制の網を掛けたのでしたね。ダビデ像の乳首に絆創膏貼ったり(見えなくしただけだっけ?)、子供と大人が一緒に移っている写真は厳禁だとか、随分馬鹿馬鹿しい制限がありました。

当時はRLの政治家や児童福祉の団体からプレッシャーが掛かっていて、止むを得ない面もあったけど、それを掻い潜って胎児を販売していた「つわもの」が居たりしました。

出し物全般としてはちょっとがっかり。何故かというと、普段既に見ているものが多かったからですね。商業的な完成度の高いものは出されていませんでした。考えてみればイベントだ、文化祭だと言っても、いきなり普通ではない優れたものが飛び出してくるはずはないのでした。

3rdパーティの優れた技術やソフトウェアみたいなものが提示されるのかなって思っていたらそうでもなくて、ちょっと残念でした。今年はどうなのでしょうか?でも、私も忙しいので、本当にちょっと覗きに行くくらいですね。Rosedaleのスピーチは23日の22時からだったので、また聞き逃してしまいました。まあ、入れなかったでしょうけど。

日本人の間では全く話題に上っていなかったので、参加者も少なかったのかしら?
  
タグ :6周年

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2009年06月08日

Photoconの反省



企画から告知、展示と続いて一昨日でようやく授賞式を迎えた浅草108Sim一周年記念のフォトコンテストもようやく一段落、あとは2週間ほど展示をして終了ということでしょうか。今回は私にとっての初めてのイベントのマネッジだったので、いろいろ分からないことが多く、困りました。振り返ってちょっと反省してみましょう。

まず、企画そのものは私が何ヶ月か前に言い出したことなのですが、アイデアを聞かれて出しただけで、別にそのとき賛同を得られたわけでもなく、忘れていたものでした。だからコミットメントという意味ではほとんどない状態から始まりました。

次に私はイベントよりも「ものづくり」が得意なので、入りかたも全体の企画をするよりも「観客がSSパネルにタッチして投票するシステム」何ていう思いつきが最初に来てしまうのです。

全体のイメージがないので、マンパワーがどれくらい必要かも分からなかったですね。まあ分かっていたとしても専属のスタッフがもらえることもないので、あまり状況がよくなるわけでもなかったのですが。

ともかくも、場所の確保と出品点数の読みなんかが初期の段階での関心事でした。

次に告知ですが、見よう見まねで看板と要項をつくって、いろんな人に頼んで置いて貰い、ブログにも載せて、IMも何度も打って、出品を促しました。

会場の設営と告知にはRikoさん、FamiさんなどSimのスタッフも協力してくれました。

出品は100以上来たとしたらどうしよう?などと心配していましたが、実際にはアバター部門が29、景観部門が17と合わせて46で半分以下となりました。これは告知が下手だったからか、そもそもフォトコンテスト自体が人気がなくなりつつあるのか、よくはわかりません。



いずれにしても、フォトコンテストに出すことだけを喜びとする人は少ないので、ある程度の賞金を掲げないと盛り上げるのはむずかしいと思います。今回は108DragonのTaiji Juran(Sim Owner)さんに総額L$12,000を超える賞金を出してもらい、大方の関心を持ってもらうことができたのだと思います。

審査については一般の投票と審査員による審査の2本立てにしました。一般の投票は予想外に集まり、全部で509票が投じられました。投票のねらいは、これによって出品者の知り合いもSimに来てもらい、浅草Simを知ってもらうことができ、またトラフィックも上がるという計算でした。これは奏功したと思います。

ただ、それだけだと人脈や企業グループの背景がある人が有利になるので、審査員による審査を柱とし、一般投票も尊重するという形にしました。このあたりの配分は実は授賞式の一週間前くらいになって漸く具体的な形になってきたのです。

審査員の点数の付け方というのも結構むずかしいものです。いろいろ試行錯誤の上今回は単純に順位を付けたものに10点刻みで配点したものを合計してみました。ただ、この方式では上位はかなり激戦になってしまいます。



一番難しかったのは授賞式の準備と式の運営ですね。私にはまったくノウハウがないので、直前まで記念の楯を作っていました。会場のアーチなんて人が集まりだしているの作ってました。まあ、今思うと事前に他の人に助けを求めなかったのがいけなかったのでしょう。参加賞つくるのに丸一日使ったこともありましたね。

TontonがRLの仕事を生かして丁寧な「講評」を書いてくれたのは助かりました。こういうのがないと締まりませんね。

やはりこういうイベントの運営とクリエーションは異質の機能で、私は前者には向いてないなというのが今回の感想ですね。でも受賞者には喜んでもらったので、よかったのかな?

何事も経験ですが、しばらくはゆっくりしたい感じです。  

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2009年05月13日

マシニマ上映会



先日MoonCatのコミュニティでマシ二マの上映会があって、呼んでもらったので行ってきました。映画を6本くらい上映して、それぞれに制作者によるプレゼンがついていたりして、本格的な上映会でした。

画像はこのSimの関係者でRLで歌を歌っている女の子のプロモーションビデオです。なんかトントンを人間にするとこんな感じになるのかなって思いながら見てました。実際は別人なんですが。唄は結構上手でした。



この幻想的な風景は映画をSSしたものではなくて、観客席の周辺の景色なんです。スクリーンの中も外も同じ人が作っているのでおなじような幻想的でイマーシブな感じ。



結構盛況で、デジアカのIn Yan学院長も登場。映画そのものはコスチュームとダンスを中心としたもので、私達が作ったもののようにセリフが一杯出てくるということもなく、音楽と映像のファンタジーといった感じでした。毎回思う当たり前のことですが、作り手によって全然違う傾向のものになるんですね。

ということで今日はセクシー画像は封印。一緒にならべると叱られてしまいそうですから。今回は第一回で、次もあるそうですから、興味のある人はMoonCatに来て、猫をみつけて聞いてみるといいですね。

普通の商品とかお店とかもそうですが、他の人が作ったものというのは自分の発想とは全く違うので、参考にもなるし、考えさせられることもあります。

それからこの上映会の作品はかなり専門的なソフトも使われていて、私のようにフリーのソフトしかなくて、美しく撮ろうなどという野心なしに作ったものとは比べ物になりません。  

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