2010年03月31日
Simの消滅(2)
Victorianaの13Simが閉鎖されるに当たってのオーナーの通知の続きです。Secondlife Heraldの24日の記事です。
「それ以来ログインの不調、ラグ、アセット・インベントリーのトラブルなんかが日常的に起きるようになりました。メンバーや住民とのコミュニケーションにはIMがあるから大丈夫なんていうのは間違いで、それで連絡を取るのはSimのオーナーにはとっても負担になるのです。だから、頼りになるのはNotecardなんだけど、これもうまく機能していないことが分かってきました。
私は過去2週間に多くのNotecardを住民に送りましたが、ほとんど着いていなかったのです。それから皆が私に送ってくれたものも多くは私に着いていないことが分かったのでした。こんなことで一体誰がビジネスやコミュニティやあるいはグリッドを運営することが出来るというのでしょうか?
リンデンラボはこのグリッドにおいて新しいユーザーが得る経験を向上させようとして、懸命に頑張っています。それは私も熱烈に支持しています。でもそれを実現させるプロセスで彼等の気分が5分おきくらいにコロコロ変わることが、関係している全ての人を傷つけ、経済を不安定にさせる上ではとても効果的に働いてしまうのです。
先頃リンデンはプレミアムメンバーに無料のホームを提供する仕組みを導入しました。でもこれはSLを始める新人達を当て込んで、既に土地やSimにお金を注ぎ込んできた人々のやる気を見事に失わせることを意図しているというべきでしょう。一体タダで土地が手に入るときに、誰が土地や家にお金を払うでしょうか?
あなたが土地の所有者だったら、おめでとう、あなたの土地は1月時点よりもその価値を減らしていますね。もしあなたが貸家のオーナーなら、おめでとう、タダで一軒手に入るのに誰があなたの家なんか借りるもんですか?Simやその一部を所有している人達、とりわけ家を売ることを商売にしている人達は、そのハードワークや努力が意味のないものになってしまいました。レンタルビジネスを経営している人達も今や酷い目にあうことでしょう。
リンデンはまたメンタープログラムとメンター達を投げ捨てましたね。この無償で人々を助けようとする人達を。それからリンデンは今まさにGateway Program(新人をコミュニティで受け入れる運動)を完全に止めようとしています。これに時間やお金を使った住民や土地のオーナーが新人を食い物にしている場合があるという言い掛かりをリンデンがつけているのです。幸いなことに私個人はその企画には乗らなかったけど、それに努力していた人を3人も知っていて、彼等の新人が最初のファンタスティックな5分間を経験できるようにしようという試みに注ぎ込んだ個人的な時間とお金がどれほどのものだったかはよく知っているんです。でもリンデンがまた気分を変えたために、それらはすべて無効で意味のないものになる運命にあります。」
なんか彼女の表現はどんどん感情的になってきて、怒りがおさまらない様子です。バランスを取るためにリンデンの立場に立ってコメントしておきましょう。まず、昨日のインベントリーが失われることやNotecardの問題は以前からあることなので、リンデンがこの解決にもっと頑張らないといけないことは確かですね。
でも、この土地のオーナーがビジネスの収益を上げるためにLight Specの土地にいろんなスクリプトや多くの住民や建物を詰め込んでいたとしたら、これはリンデンラボだけを責められるものではありません。サーバーを新しくしてもらうとか、原因について相談することが必要でしょう。ただ13Simだとリンデン側からの優先順位は低いのかもしれない。
次にプレアカに土地を無料で提供するというのは、確かに単純に考えると彼女の主張通りですが、リンデンによって供給される土地は最小単位なので、土地を持つことで何かを作る習慣が身についた人は、もっと広い土地や多くのプリムを利用したくなるのです。だから土地を持たせるという導入をねらった方策ともいえます。
それからリンデン自体が住民の無償の行為について昔のような無邪気な考え方を持たなくなってしまっているということでしょう。メンター制度ではメンターを装いながら、人々に対する支配欲を満足させたり、商品の購入に誘導するなどの行為があったので、このような紛らわしい行為を防ぐために止めてしまった、メンター制度自体もう役目は終わったと考えたのです。
無償のつもりで物事をやっているのに「損をした」というのはちょっとおかしいですね。無償といいながらその裏には集客や売り上げ増への期待がある人もいるでしょう。もちろん純粋に人助けを考えている人もいるでしょうが、ビジネスの経済性が成り立たないようなことをしても、長続きはしないというのが最近のリンデンの考えではないかと思うのです。
でも、心変わりをしたなら、それについて「乗せてしまった」人達にちゃんと説明することは必要ですね。
次回も彼女は何かに噛み付いているようです。
タグ :リンデンラボ
Posted by Sophiee Winkler at
13:01
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2010年03月30日
13Simの閉鎖
3月22日に「小さな黒いアヒルのリンゼー」という名のアバター、彼女はSLのVictorianaとTinytorianaと呼ばれる併せて13のSimの「市長」であり経営者なのですが、SLから撤退すると発表しました。住民に配られた通知の概要は以下の通りです。
「ハイ、皆さん。この通知はVictorianaが閉鎖されるというお知らせです。私は2006年の7月以来ずっとSLの住民でした。そして沢山の素晴らしいことが起き、またそれらが去っていったことも経験しました。ただ、過去の1年を振り返ると、リンデンラボのグリッドで生活することの負の側面が、恩恵よりもうんと大きくなったことに気がついてしまったのです。
日常的なログインや取引でのトラブル、インベントリーの滅失、ラグといったことが皆の経験を惨めなものにしています。私は過去12ヶ月だけをとっても、もの凄い量のインベントリーを失ってしまいました。これは誰にとっても楽しいことではないでしょう。Victoriana在住の人々や友人からの報告で、このことは私一人に起きた問題ではないことが分かりました。
皆さんも気がついていると思うけどリンデンラボは先の『メンテナンスのアップデート』の際に、犬コロを騙すみたいに私の許可を取って、私のSimに対する権限を取り上げてしまったのです。つまり、私は土地の様々な設定の修正、修復、改善が(他のメンバー)にはできなくなったのです。(もちろんSimの殆ど全てのものは私が作ったものであることは確かなんだけど。)
何度も何度もConciergeと話をして、Support Chicketで訴えたりしたけれど、14日経ってもリンデンラボはこの問題を解決できなかった。彼等は私の訴えに対して私にコンタクトしてくるという礼儀もわきまえていなかったし、Chicketを「新しい状態」にも適用するという気もなかった。(つまり、そんなことに煩わされたくなかったということね。)
住民の皆には通知を何度か出して最新の状況をお知らせしてきました。だから皆はこの地域の問題を私がほとんどゼロから自分で修復しなければならなかったということはご存知でしょう。
このリンデンラボの腐った鰯のようなどんよりした反応は、このSim群とリンデンラボの先行きの不透明さに対してはっきりとした光を投げかけたものでした。私はこの数週間多くの人々とSLにおける彼等の個人的投資について再評価してみたのです。そして悲しいことにそのうちの多くの人が彼等がSLに投資して手にしたすべてのものを失うことを恐れて、SLをやめることを決めたのでした。
善良な人、そして長くSLをやっている人ほど次回のメンテナンス時に何が起こるのかを恐れて止めてしまうというのは悲しいことです。」
お話はまだまだ続きます。私も実はつい先日自宅に設置してあるアニメスタンドやボールが7つも消えてしまい。何日が後に所有者のインベントリーに戻っていたということがありました。すべてが戻ってきたのかどうかは現在チェック中です。
「すべてを失うのを恐れてSLを止めてしまう。」というのは論理にちょっと飛躍がありますね。インベントリーを外部に保存するソフト、それはリンデンは認めていないけど、別のIPアドレスを使った別アカにまとめて保持させて、それをSecond InventoryなどのソフトでHDに保存することはできます。面倒だけどね。
ここではSLを止めるというのは、持ち物を別グリッドに移してそこで活動を続けるという意味でしょう。でないと、SLを止めただけでは結局自分達の投資が失われてしまうことに変わりはないからです。
サーバーが古くなったり、Simを酷使するとこういうことは起きるのですが、まあもう少し彼女の言い分を聞いてみましょう。
タグ :リンデンラボ
2010年03月26日
CopyBot の検出

Gemini CDS Ban RelayというソフトがXStreetなどで売られています。前からあったんでしょうね。
https://www.xstreetsl.com/modules.php?ItemID=1290780&lang=ja&name=Marketplace&SearchKeyword=CDS&SearchLocale=0&SearchPriceMin=&SearchPriceMax=&SearchRatingMin=&SearchRatingMax=&sort=&dir=asc&searchSubmitImage.x=38&searchSubmitImage.y=13
また、CDS(Confederation of Democratic Simulators)という協会があって、幾つかのSimがSLの質的、倫理的向上を目指して活動しています。詳しくは次のサイトを。
http://secondlife.wikia.com/wiki/Confederation_of_Democratic_Simulators
このCDSとソフトに冠されたCDSがどう関係しているのかしていないのかがもう一つ不明確ですが、とりあえずそこは置いておいて、先頃このCDS anti-copybot Systemが大きな成果を挙げていると、Skills Hakが表明しました。この人以前取り上げたような気もするけど、何のテーマだったのか忘れてしまいました。
さて、Heraldでも記事になったようですが、最近4424のアバターがコピー機能のついたビューワーを使用しているのが検出されたということです。どういう範囲で、どの程度の期間にわたって検出をしたのかは不明ですが、ともかくこのソフトを含む装置をどこかのSimやSandboxに設置してみたに違いありません。
最初にこの問題が記事にされたときにはその数は1200だったので、随分増殖したというか検出が進んだということでしょうか?でもこれも氷山の一角にすぎないでしょうね。
それと記事ではある懸念が指摘されていて、そのようにして検出したアバター名が公表されたりすると、それが正しいのかどうか実は分からないということです。恣意的に敵対するアバター名をそのリストに入れ込むことができてしまうからです。また、ビューワーを使っていることが即コピーライトの侵害行為をしたとは限らないということも言えます。
Hakは今回の調査によって従来言われていた、コピー侵害をするアバターはいわゆる「捨てアカ」で半日として同じものが使われないというのは実は正しくは無かった、つまり常習的に同じ名前でコピー侵害をしているアカウントが多いということを突き止めたようです。それらの人の特徴、例えばどこの国のPCからアクセスしているかとか、行動パターンとか、所属とかのデモグラフィーを現在さらに詳細に分析中なのだそうです。
今分かっていることはそれらの不良アカウントが集合する場所としてはやはり断然ナイトクラブが多くて、パーティー会場でも多く検出されるとか。これってRLの禁止薬物の常習者の出没するところと同じですね。
厳密にいうとこれはCopybotの検出ではなくて、違法なコピー他できるビューワーを使っているアカウント名の検出なんですが、まあ同じ様なものといえるのかな?
タグ :Copybot
2010年03月16日
SLってAddictive?

Heraldの記者のJessica Holyokeはまたまた、「SLはAddictive(常習性がある)か?」なんていう投げかけを行なって、読者の書き込みを募っています。まあ、これも昨日と同じであまり意味のない質問ですね。SLをやる目的は人によって様々だし、人はSL以外のいろんなものに嵌まっているし、飽きるってこともありますからね。
英語の意味を厳密に受け止めるなら、病的に惹きつけられて止められなくなるということでしょう。でもSLを始めて短期間で止めてしまう人の方が、やり続けるひとよりうんと多いのだし、2年も経つとだんだん飽きてきて止めてしまう人もいっぱいいます。だから麻薬や覚せい剤と同等の常習性というのはないですね。
しかし一方でお金をどんどんつぎ込んで土地を買い、RLの時間もなくなってしまうくらいにSLにログインし続けている人もいます。そういう人にとっては確かに他のものに代え難い魅力というか、強烈な常習性があるわけです。だから一般論でこんなことを考えていてもあまり意味はないでしょう。
人は世の中のいろんなものに耽溺します。異性とか、車とか、麻薬とか、映画、スポーツ、鉄道、もろもろのコレクション、等々幾ら書き出してもきりがないくらいです。その根源には何があるのでしょうか?
翻って動物は人間が教えない限りはあまり何かに嵌まるということはないようです。動物の使命は自分が生き延びることと、種の保存ですから、それに必要な範囲で夢中になることはあっても、それらが満たされれば忘れてしまいますね。それが健全な状態なのでしょう。必要以上に獲物を取ったり、溜め込んだり、自慢したりはしないということですね。
ところが人間は生存の必要性というものから離れて、そんなことしても客観的には何の意味もないということをやり続けてしまうことがあります。
お釈迦様は正しく生きるためのヒントとして、「物事を客観的によく観察すること」と「ものごとに捉われないこと。」を勧めてくれています。これらは表裏一体で、一つのことに執着してしまうと、正しい考えや判断が失われかねないからですね。だから、実際に僧侶であったり、あるいは仏教信者を標榜していても、何かに執着して人と言い争ったり、自慢したりしている人は「心の平穏」を手に入れることはできないし、幸せではありません。身過ぎ世過ぎのための宗教者ということになります。
でも私たちは日常生活では様々なものに執着しています。子どもをいい学校に入れたい、安全性が高いからドイツ車を買いたい、やっぱりユニクロばかりじゃ恥ずかしい、入院するならどうしても個室だ、等々。それなりにまともそうな理由をつけますが、その根源には貪婪な心があったり、虚栄心や支配欲があったりするのですね。
私たちはこの社会のなかでそれなりの生活を送り、それなりの地位を占めるために、様々なものに執着して、計画を立て、それを実行して目的を果たそうとします。そうしてそのようにしない人達、途中で諦めてしまう人達を、「怠け者」とか「無能者」と呼んで優越感を感じたりします。
それはそのときにはある程度必要で、何かそういった欲望や執着がなければ、みんな本来の宗教家みたいになってしまいます。でも何年も前のことを思い出してみると、あのときあんなに一生懸命になっていたもののほとんどのことは意味がなかった、山のようなテディベアの縫いぐるみのコレクションや、父の鉄道模型のコレクションも、いまでは掃除の邪魔になっているだけだし、ハイチの難民を救うこともできません。
一方でそのようなAddict(耽る人達)の存在のお蔭で経済は発展し、人々は職にありつくことができています。みんなが一斉に「清貧」に生きようとすれば、ブラックホールのような底なしのデフレに突入してしまうことでしょう。
そういう自らの未熟さが凝縮してしまったものとしてではなくて、自らの可能性を拓いてくれるものとしてのSLであるために、今後はRLのものに対する執着もどんどん減らして、すっきりさせて行こうかなと思ったのでした。まずはお部屋のお掃除ですね。余計な本も書類も捨ててしまいましょう。
2010年03月15日
SLはゲームか?

Heraldの記者の「SLは果たしてゲームか?」という投げかけに、結構な数の読者が反応して書き込みをしています。
ここでは「ゲーム」の定義が明らかでありませんが、一般的に私たちが使っている意味で間違いないでしょう。つまり、ゴールとルールを決めて複数の人で競う遊びのことですね。
稀に相手の承諾を得ないで一方的にゲームを仕掛けることもありますね。例えば今回のSea Shepherdのような場合です。彼等は金儲けと遊びを兼ねてやっています。服装や装備を見れば遊んでいることがすぐに分かりますね。世の中では「フロンティア」がなくなるとこのような大人子供が蛆のように湧いてきます。なぜこの人達のお話になってしまったのかというと、それはGameに「狩猟の目的である生き物またはその肉」という意味もあるからでしょう。
でもこのような人達が歴史を変えることがあることも事実です。維新の志士や昭和の青年将校だって、何もひたすら純粋に悲憤慷慨して国家のためだけに奔走したわけではなくて、相当の割合の人達は色んなところから流れてくるお金にたかっていた部分もあるのです。青年将校は口では東北の農民の悲惨な生活を嘆きながら、自分達は商人や企業から回ってきたお金で新橋や深川で芸者遊びをやっていたのですからね。今は「みのもんた」がその後継者として世の中を嘆きながら遊んでいます。
さて、脱線を元にもどして、私はこのような投げかけ、「SLはゲームか否か?」というのは意味がないと思います。SLはご存知のようにプラットフォームであって、つまりはRLの世の中と対になっているものとして作ってあるのです。だからそのなかでゲームをしてもいいし、一人遊びに興じてもいいし、みんなと意見を闘わせてもいいし、商売をしたっていいのです。
何をやるかは参加者が決めていくわけですから、RLと同じなんです。ただあまり真剣にやりすぎると、どんどんRLに近づいてきてとっても息苦しくなるし、息抜きや慰めとは正反対の活動になってしまいますね。
ともかく、それがゲームかどうかを決めたって、それによって個々のユーザーの行動が変わるわけでもないので、議論のための議論の意味しかありません。ある人はゲームだとおもってやり、ある人はSNSだと思い、ある人はRLからの逃避場所として使い、別の人は人生の修業だと思って取り組むのです。個々のユーザーの行動が変わるとすれば、それはSLのプラットフォームをどう定義づけ解釈するかということではなくて、時間がないとかお金がないとか、飽きるといった事情の方がはるかに大きなインパクトをもっているのでしょう。
まあ、そうは言ってもわたしの独り言みたいなものを読んでも面白くないのかもしれないので、ちょっと他の人はどう思っているのかを訳しておきましょう。
Jumpman Lane
「そんなこと、いちいち言わないといけないの?フフ。」
Darien Caldwell
「ゲームじゃないよ。SLの中で起きる出来事はロールプレイに留まらず、参加者にとってリアルな意味と意義があるんだからね。ゲームには既存の筋書きがあって君はそれに沿って進むだけだ。RLの生活は筋書きなんかないし、SLだってそうだ。」
Deadlycodec
「う~、それはゲームだね。人にはリアルな世界にもう一度もどっていくための、ちょっとした休息の時間というものが必要なのかもしれない。」
Alyx Stoklisky
「それはゲームだ。もしあんたがそれを何か別のものだと思っているなら、あんたは他の奴等から金を吸い尽くそうとしているか、あるいはこの糞ダメに自分の金を突っ込んで一文無しの敗北者になるかのどっちかだろう。」
NebulaCS
「SLはある面からはゲームだし、別の面からはそうではない。ある人達はSLの中でロールプレイをしたり、ニセモノの軍隊や戦闘Simを作ったりする。彼等にとってはロールプレイはゲームだし、尋ねてみれば『ゲームやってるだけだよ。』というだろう。
しかし、他の人々にとってはそうではない。それはRLのルールや制限から自由な、現実から分離された人生だ。このように両方の面からSLを眺めることができないと、どちらか一方の立場から、対極にある人を叩くような発言をすることになってしまう。」
Obvious Schism
「それはゲームなんかじゃない。地球の命という大あくびの出るほど長い時間に比べて、SLでやっていることなんて、ひねくれた世界の枠組みをつくって、小さな小さな、断片みたいなものに意味を持たせようとしていることに過ぎない。ときどきよくこんなこと寝ないで起きてやってられるなって、自分でも思うよ。」
う~ん、同感です。
2010年03月08日
エメラルドはどうなる?
Alphaville Heraldによれば、Emerald Viewerの開発主体はOnyxプロジェクトとともにViewerの内容を明らかにする方針のようです。Onyxというのは様々な非公式のSL Viewer の実態を明らかにして、内容を修正して利用することを意図するもので、以前は秘密の計画だったのです。
非公式ブログのリストについて見たい人はこちらから。
http://onyx.modularsystems.sl/viewer_reference.html
Modular SystemのブログサイトでMr.Fractured Crystalというペンネームの人が次のように述べています。
「いろんなViewerが基本的には非公開なままで、ガードもしっかり掛けられているのだが、ごく親しい友人とか相当の対価を払ってくれる人達に対してはシェアされる。今回公開に踏み切る理由は、実際に公開されるや否やすぐさま偏りのない見解として発表されるだろう。
その結果利用者以外にはこれらのViewerの能力というものを誰も的確に知ることはできないし、ブログや集会で明らかにされる情報というのが、どんなに頑張っても惨めなほど不正確で、一般の人々を闇のなかに留めておきたいと願っている人達によってしばしば誤まった情報が流布されるということにもなるだろう。」
Herald 記者のコメントです。
「ボロっちいViewerの製作者名を明らかにして恥を晒してやることは彼等をSLにおけるSimの破壊者やコンテントの窃盗犯として貶めることになるのか?あるいはOnyxは非公式ViewerについてLinden Labが制裁を加えない程度のある種の能力を利用者に知らせせることを意図しているのか、どっちなんだろうか? 間違いないのは、Linden Labの公式サードパーティのViewerが、どれほどそれら非公式のものと違うのかについて論争を巻き起こすだろうということだ。」
公式Viewer2.0がリリースされようというときにこんな情報が出てくるということは、リンデンとEmeraldの間で「手打ち」が出来なかったということなんでしょうか?表現はどうあれ、これだと今までのEmerald Viewerのやり方と別に大きくは変わっていないような気がする。
あるいはこういうことでしょうか?製品版としてはリンデンとエメラルドでは、お互い明かしたくない手の内があって、融合したViewerを作ることは出来なかったけれど、Emerald Viewerを有償化して、その代金の一部をリンデンラボに還流させることによって、お目こぼしをもらうことで合意したということなのかも?最近このニュースには無関心だったので、すごく間違った解釈かもしれません。
うがった見方としては「手打ち」はできて、Emerald Viewerの主要機能は2.0に取り込まれたが、将来「蜜月関係」が終わったときにEmeraldからいつでも離れていけるように、外部に対する発表としてはEmeraldの独立性を強調するものを出したというのもありですね。
まあ、私の現状の関心としてはアバターが綺麗に表示されるか、複数のアカウントを立ち上げてもグラボの負担が大きくなりすぎないようにできないか?ということでその他にViewerに望むことはありませんね。プロでもヘビーユーザーでもないので。もっとも私の要望は高スペックのPCを買えば済むことでしょうけど。
2010年03月03日
勝てない理由(4)

オリンピックは終わってしまいました。振り返って見るとそれぞれの人がそれなりに頑張って、私たちもそれを見て楽しむ事ができました。でもストレスは溜まりましたが、それは私の過剰な感情移入せいでしょう。自分が帰属しているグループが優れたものであって欲しいという思いは世界共通で、これがないと共同体は運営していけないのかもしれない。でもそれが過度になると、自分は何もしていないのに、仲間だと勝手に思い込んでいる人達が結果を出せないと非難したりします。これはいったいどういう神経なのか?
人類の黎明期にサバンナで狩猟を営んでいる種族が、優れた代表者を狩りの場に送り、劣るものは部落で彼等の帰りを待っているというのもこんな感じなのかしら?でも彼等はヒーロー達が手ぶらで帰って来たとしても、温かく迎えたことでしょう。「馬鹿!」とか「死ね!」とか言う代わりに、自分も一人前の戦士として戦いの場に参加したい考えたでしょう。
相撲もオリンピックも元来は神々を本来の観客として、人の懸命な営みを披露することで神々を喜ばせ、豊かな収穫が続き災厄が降りかからぬように祈る儀式でした。そこで大切なのは「美しさ」、「勇気と潔さ」、「相手を讃える心」、「全力を出し切ること」でした。報酬は「名誉」だけです。水利や土地の境界など共同体間の争いの解決の方便にも使われることもありました。
さて、次の4年を日本はどのように過ごすべきなのでしょうか?今のままだと五輪前に突然名前を知った選手達が28位とかになって、税金の無駄だとか、やる意味無いとか毒づくことをやはり繰り返しているような気がします。
日本の最大の問題は五輪に対してどのように対処するのかという方針と目的がないことです。五輪は国威発揚の場と割り切って、金メダルを20個取る、30個取るという目的を掲げるのか、あるいは平和の祭典だから参加することで十分と割り切って、あとは選手個人と協会で宜しくやってねというような従来のナマクラ路線でいくのかということですね。
これは実は相当に難しい選択です。国がスポーツに口出しをして、メダル数等の結果を求め出すと、結果的に負の側面が強く出てくることになります。その一番の例は昔の共産圏諸国、特に東ドイツ等のドーピング問題でした。韓国なんか共産圏でもないのに審判を買収したことがバレてしまいましたね。今後は幼児のDNAを分析して選別に利用する等ということも出てくるでしょう。
メダリストに対する報酬や特典も大幅に引き上げられて、益々アマチュアリズムが形骸化して、スポーツをタレントや政治家になる手段と考える人や、プロ化してお金儲けをしてさらに優秀なコーチを雇ったり、設備投資をしたりという「ビジネス化」が進むことも想像に難くありません。それは先日来述べている一部大企業によるスポーツの「私物化」を助長することにも繋がります。
日本は、他の様々な国家的規模の課題についても同じなのですが、このような意思決定を避けてというか、そういう問題の存在をあたかも存在しないかのように振舞って、自然体で結果を受け入れるという癖のある国家であり国民であるのです。
石原都知事は「銅(メダル)を取って狂喜する、こんな馬鹿な国はないよ。」と言い放ちました。彼は多分メダリストの懸命のパフォーマンスやそのための努力ということには興味がなくて、ただ結果だけに関心があったということです。そういうスタンスであれば、この際五輪招致に大金を使うのがいいのか、そのお金を選手の育成と強化に回すのいいのかについても明確に意見を述べるべきですね。都のお金は都で土建工事をやるために使い、選手の育成は国任せだから関係ないというつもりかな?いずれにしても累積債務70兆円の自治体の長が、さしたる戦略も勝算もないままに、更に五輪招致にお金を使うというのは、「こんな馬鹿な自治体はないよ。」というべきでしょう。
まず目標を決める。メダルを追求しないのならそう言う。メダルが沢山欲しいのであればそのためにどのような戦略と手順でそれを実現するのかを考え、計画に従って行動する。つまりほとんど戦争と同じような準備と集中力を求められる国家的プロジェクトということになります。
私は日本人というのは自分達では勤勉で優秀だと信じていますが、実は相当に愚かな怠け者で、特にものごとを突き詰めて考えるのはやりたくない、そういうのは誰か別の人に御願いしたいという人種だと考えています。なるべく価値判断を避け、自然に結果が出るに任せ、選択肢が無くなってから初めて行動する。こういう適当な生き方で何千年もしのいできたというのは他の民族や国家から見たら奇跡以外のなにものでもありません。
同じようなインターバルで行われているサッカーのW杯に対する協会や監督やマスコミ・ジャーナリズムの行動を見ていると、あまり期待できないのではないかと思うのは悲観的すぎるのでしょうか?
SSは最近いじっている自作スキンです。昨日は顔だけ変えたので、首のところの色がずれています。
2010年03月01日
勝てない理由(3)

連日無責任なことを書き散らしていますが、そもそもこんな話題になったのは私の中でずっと不満というか鬱屈したものが溜まっていたからです。それを突き詰めていくと、「何故誰も本当のことを言わないのか?」という疑問に行き着きます。
選手本人が自分を鼓舞する、監督が選手を勇気付けるというのは当たり前なので、嘘とか本当とかは関係ありません。しかし、解説者、評論家、報道関係者といった人々はその職業の要請として、なるべく本当のこと、自分の信ずるところを一般に開示すべき義務を負っていると思います。タレント紛いのアナウンサーや単価の安いだけで引っ張ってこられた場違いなコメンテーターはまあ、脇の方に掃き寄せておくことにしましょう。
結論から言うと、プロとしてのスポーツ評論家、解説者というものは日本ではまだ十分に独立した存在として確立されていないのです。狭い村落共同体の出身者が自分の属した場所について客観的な論評を加えることなどできません。「この選手のスポンサーのサポートは不十分、監督は技術的に何十年前のことしか知らなくて、選手本人もろくに練習もしてないのに高望みばかりしている。」なんて言えませんよね。まあ、全くの部外者でもここまでは言えませんが。解説者は、後々選手や監督やコーチに取材しないといけないし、何も知らないファンからはたとえ真実を伝えたとしても、猛烈な抗議が殺到するでしょう。
だからTVの解説者席では極力当たり障りのないコメントをして、結果が思わしくないときには「本調子でなかったですね。」とか「ちょっとタイミングが狂わされてしまいました。」というような「誰も傷つかない」コメントを適切に選択することに腐心します。
では何故この相手を思いやる麗しいコメント、村落の平和をまもる当たり障りのないコメントがいけないのでしょうか?それはそれらが真実を覆い隠し、益々視聴者の誤解を深め、勝利への対策や、将来への展望を明らかにもしていないからです。現状こんなもので仕方がないという諦め、一度ありついた食卓からは離れたくないという保身、そのようなところから出てくる解説には殆ど価値はありません。
もちろん自分の地位を確立できている解説者は客観的な真実を伝え、それに対する自分の見解も披瀝し、私たちの認識を正しいものへと導いてくれます。そのような解説者が今回の冬季五輪でも何人かは存在していることも分かり、いささか慰めを感じています。
でもこの問題はSLの土地政策がとか、リンデンの懐勘定といったことよりはるかに複雑で、考えるべき要素が一杯詰まっていますね。ちゃんとアプローチするのにはお金も時間も掛かるでしょう。オリンピック招致なんかより選手の強化にお金を使えとか、国家としてスポーツ振興と国民の健康福利といった問題にどのような国家戦略で臨むのかといった大上段に振り被った議論にも繋がっていってしまいます。まあ、ブログのテーマとしては重過ぎるのかしら?
浅田さんは残念でしたね。フィギュアの場合は総合芸術みたいになってしまって、様々なコーチや、施設、音楽、衣裳と言った要素だけでなく、4年掛けてどうやってスポンサーや国の援助を集め、審査の動向の変化などを読み取っていくかというプロデュース機能が必要になってしまいました。戦略と戦略家が必要なんです。何年も前から力があればという世界ではなくなったのですね。「アマチュアの祭典」などという言葉も死語になってしまいました。
ジャンプ、表現と言った一つの要素、一人のコーチだけに集中しないで、自分がどうしたいのかをはっきりさせるとともに、自分の判断だけに固執することのない柔軟性を身につけなければ、今までの多くの涙を呑んだ日本の金メダル候補の轍から踏み出すことはできません。