2008年07月11日
タダって悲しい

昨日はものづくり(カキ氷マシン)の製作をして、もう一つのブログを書いていると、DanboさんからIMがありました。彼はSL内で「週間懸賞生活」を発行していてChat Caféを普及させようと頑張ってます。私も何か書くことになっていますが、最近更新をサボっていますね。ネタに困っているわけではなくて、目の前に製作中のものがあるので、それをやってしまうわけ。
さて、彼のお話はSlmameブログとかi-Phone とか多岐に亙ったんですが、最新のメディアのお話だったので、私はあまりついていけませんでした。で、そこで頭に残ったのが、「SNSのブログはどこでも赤字だ」ということです。つまりSlmameだってブログの環境を維持するコストの方が断然多くて、広告収入は知れているということですね。
そもそもネット全般でバナーとか色んな広告の単価が下がってきているということですね。何年も前と違っていまではバナー広告なんかクリックする人はいません。クリックしてくれる率は確か0.01%くらいまで落ちているとか。だからそこから商売に繋がる割合なんて小数掛ける10のマイナスN乗で表現しないといけないくらいですね。せいぜい世の中にこんなものありますよという「賑やかし」のようなものになってしまっています。
だから主催者も何か面白いコンテンツを持ってきてPage Viewや広告のクリックを増やそうとするんだけど、当然この場合コンテンツはタダ同然ということになります。だからTVやビデオの過去のコンテンツで価値のあるものは出てくるわけありません。
で、新たに載せられるコンテンツは結局最初からタダのものと見做される運命ですから、いくら頑張っても経済的価値を生み出すことはできないんです。まあ私のブログも同じだし、大抵のコンテンツはそうなってしまっていますね。
タダだと、見る方は得するみたいだけど、タダだから得してるとは思わないし、作る方もお金掛けて取材したり、内容を練ったりする気にもならないでしょう。結局すべてのコンテンツが女子高生の携帯電話の会話と同じで客観的に無価値という評価になるんです。何と言おうがアマチュアの製作物。
値段をつけないとどういうことになるかというと、コンテンツ間に価値の優劣がつけられないので、玉石混交の氾濫状態ということになります。アクセス数があるじゃないのという人がいるかもしれませんが、あれは価値を判断しているわけではありません。
だから、出す方もコストを負担し、見る方もお金を払うという形(たとえそれが1View0.1円だとしても)にすれば、コンテンツは淘汰されていきます。それによってSNSブログのコンテンツがこの社会経済のなかに組み入れられるということになるでしょう。いまのままでは高架下の落書きと変るところはありません。人は必要なものにはお金を払います。だからお金を取って売れるということは他者に必要とされているという証明なんです。タダであげれば喜ばれるものでも、値段がついた途端に引かれるのでは、それは突き詰めると必要ないものだいうことになります。
では、どうするのか?と考える必要があるのか、そんなことはどうでもいいのか、そこから先が分からないですね。たまに他の人とお話すると普段考えないことを考えたりします。今日の文章はお金取れるかしら?うーん……無理ですね。
Posted by Sophiee Winkler at 13:31│Comments(0)
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