2009年01月26日
SLの教育ビジネス
先日のリンデンラボの幹部インタビューでも明らかなように、リンデンラボはSLにおける教育事業に大きな期待を掛けています。でも、それがビジネスとしてどれくらい価値を持ち、あるいはどれくらいブレークの可能性があるのでしょうか?何となくニーズは無限で市場規模は巨大だということを大前提においてしまって、あまり真剣には検討されていないのではないでしょうか?
数字で表すのは難しいですが、ちょっと考えてみたいと思います。その前に、市場とか需要とか言っているのはRLにおけるもので、SLに関する技能や知識の習得は対象外とします。今のところその規模はあまり大きくないし、無料のものが多いからです。
まずお金が取れるということではRLにおける教育需要を代替するということですね、もちろんSLを使うことにより新たにRLに紐つけられる需要が生まれるということはありますが、短期で影響があるのは前者です。
RLの教育には膨大な需要があることはいうまでもありません。でもその大きさにばかりに幻惑されていてはいけません。ユーザーの側からみてどうして教育を受ける必要があるのでしょうか?そうですね、教育を受けることにより知識や技能が身に付き、資格や学位やより有利な就職やビジネスの機会が手に入るからですね。学問を究めるという目的もありますが、これは一般のユーザーの目的ではありません。一言でいうと、自己の可能性を押し広げ、より多くの収入を得る手段ということですね。
つまりユーザーはあくまで実利的な効果を期待しているのであって、単に見聞が広まるとか、知的に刺激し合えるとか、それはもちろん重要なことだけど、そういう高尚なことだけ考えているのではないのです。
翻って、既存の教育機関の目的はなんでしょうか?公的な教育機関はともかく、教育をビジネスの側面で捉えなければならない私的な教育機関は、教育という活動によって利益や社会的評価を得なければなりません。社会的評価のなかには卒業生の就職実績、社会における活躍や資格の取得者数といったものが大きな比重を占めています。
教育機関に働く教員、研究者の目的は生活の資を得る他に教授、准教授といった社会的に認められた職についたり、研究に必要な施設を利用する、共同で研究に取り組むといったことがあるでしょう。
以上のようにRLでは教育は単なる知識の習得、技能の向上といったことだけでなく、それ以外の利害関係者それぞれのニーズを満たすものとして存在しています。SLにおける教育がそれらの副次的なニーズ、副次的であるけれども当事者には非常に大きな意味を持ち、むしろ「知の探求」といった抽象度の高い本来のニーズよりも更に大きな満足や利得をもたらす存在でありえるのかが、SLの教育が大きく発展する上での重要なポイントとなるでしょう。
最後に既に何度か述べたことですが、RLにおいて開発された教育のための様々な手段、メディアというものに対して、SLが更に効果的な方法を提供できるかというのが大きなポイントです。SLのなかでTV会議をやるというのでは意味はありません。SLあるいは3D・SNSが既存のメソッドに対して優位に立つアプリケーションを提供できるのかが問題です。RLと同じことができるというのでは「オママゴト」であって、ビジネスではありません。SLにしかできないことを提示しなければならないのです。
もちろんSLの教育は現段階でも大きなメリットを持っています。通学の時間は不要だし、記録として残ってしまうので教員によるピントの外れた冗談やセクハラはありません。クラスメートから大麻を吸えと誘われることもなく、自由な時間に授業を受け、科目を選択できるでしょう。語学能力の壁を超えられれば地球上のどんな人でも自分の教師としてしまえるのかもしれません。でもキャンパスで恋に落ちたり、マージャン仲間を調達するということはできません。
まとめてみると、RLの教育機関が持っている様々な魅力、学生を含めた利害関係者にもたらしている利得や利便性といったものをSLの教育機関は凌駕できるのか、それが当面無理なのであればその一部において凌駕することを真剣に考えなければなりません。また、技術的、方法論的にRLの既存メディアを上回る効果、効率を提供することを考える必要があります。
これ以外にも大きな論点があるのかもしれませんが、少なくともこの課題が解決されないうちはRLの既存の教育機関やプロのビジネスからのSLへの参入・投資ということは大きな流れにはならないでしょう。
Posted by Sophiee Winkler at 13:19│Comments(4)
│ビジネス
この記事へのコメント
>自由な時間に授業を受け、科目を選択できるでしょう。語学能力の壁を超えられれば地球上のどんな人でも自分の教師としてしまえるのかもしれません。
というのはSLでも結構難しいと思っています。人対人で授業をinteractiveにやるとなると、教えるほうの時間の問題が起こって、常に時差の解決がボトルにネックになりませんか?
というのはSLでも結構難しいと思っています。人対人で授業をinteractiveにやるとなると、教えるほうの時間の問題が起こって、常に時差の解決がボトルにネックになりませんか?
Posted by C at 2009年01月27日 02:03
コメントありがと~。おっしゃるとおりですね。自由な時間に自由な科目の授業を受ける場合には教師は選択できないでしょう。また、自分で先生を探して、この人に是非お願いしたいということならば、相対で都合を決めるということになると思います。そのような場合には教育機関による教育事業ではなくて、飽くまで個人ベースになってしまいます。
Posted by Sophiee Winkler at 2009年01月27日 15:08
そうするとSLがもつ教育ビジネスでの優位性とはなんだろうかと考えてしまいます。
ネットでの会議にしても授業にしても、仮想空間でやるよりも実空間のビデオでやったほうが効果的だと思っています。
ビジネスとしてではなく、誰かがなにか伝えたいもの、教えたいもの、教えてほしいものがあった場合に個人ベースでの教育というのはコストが安くできるので、そういう需要と供給の情報を束ねる場所があれば、それはワークするのかもしれません。
ネットでの会議にしても授業にしても、仮想空間でやるよりも実空間のビデオでやったほうが効果的だと思っています。
ビジネスとしてではなく、誰かがなにか伝えたいもの、教えたいもの、教えてほしいものがあった場合に個人ベースでの教育というのはコストが安くできるので、そういう需要と供給の情報を束ねる場所があれば、それはワークするのかもしれません。
Posted by C at 2009年01月27日 20:49
コメントありがと~。はい、実は私もそう思っています。だからそれらの不利な状況を克服するためにはここに書いたようなハードルをクリアしていかないといけないという趣旨です。それを考えないで需要は大きいって強調するだけではだめですよってういう趣旨なんです。
Posted by Sophiee Winkler at 2009年01月28日 15:36
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