2010年07月21日
SL創世記(5)
最盛期を迎えたGriefing(嫌がらせ)
「2005年にもGriefingは既に猛威を奮っていた。つまり、ユーザーとして金を払って登録してでも嫌がらせや破壊活動を楽しみたいという連中がいたということだ。しかしアカウントを原則無料で作り維持できる制度に変更したことは、彼等に尽きることのないアカウントの源泉を与えたことになって、事態はさらに悪化した。2005年の最終四半期にはGriefingは史上最高の水準に達し、2006年に掛けて横ばいに推移していった。
この間多くのグループが様々な攻撃的な仕掛けをつくり、SLのユーザーの創造物の見本として(また手に負えない退廃のしるしとして)世間に撒いたり、メディアに載せようと試みた。しかしながら、ニュースメディアは伝統的にセックスのことで頭が一杯なので、これらの試みはメディアには取り扱いが難しすぎて、脚注で言及することが精一杯だった。
SLのGridを長期または短期にわたり崩壊させる方法を発見した者たちがいた。実際にそれは起きて、何日かSLが止まってしまうという出来事があった。
無料の基本アカウントが提供された頃までには、これらの行為はかなり下火になって、SLはかなりしっかりしたものになったし、大量Griefingによる大炎上というのもあまりよくあることではなくなった。
灰色の人が見える
この年の10月にはVersion 1.7がリリースされた。それはLindexの為替機能も組み込まれていたが、テクスチャーのローディング全般に亘って何らかの問題があった。問題の原因は決して明確になることはなかったが、アップデートの後の何週間かはテクスチャーのローディングが極端にゴワついて、結局はロードされるにしても非常にゆっくりになってしまうのだった。
この問題が最終的に片付いたのは漸く翌年の中ごろになってからだった。
12月に1.8が登場し、古いTelehubのシステムは撤去された。それによってユーザーは自分のいるところから本当に行きたい地点まで無駄なく移動が可能となり、時間が節約できることになった。2003年に経済システムを導入したときの騒ぎに見るように、この変更は多くのづけづけモノを言うコメンテーター達からは、SLを直ちに死に追いやるものだと非難された。
同じこの年にリンデンラボのマーケティングの責任者はメモを回して、スタッフにSLを「ゲーム」と呼ばず、「プラットフォーム」と呼ぶように指導した。その後数年間は多くのスタッフやVPや取締役なども含めて、SLを「ゲーム」といったり、ユーザーを「プレイヤー」と呼んだりしてお目玉を食らうというトラブルが頻発した。
こんなことで警告スリップが一杯出たりしたのも、フロイト流に思わず本音が出てしまったというよりも、主流メディアからの圧倒的なプレッシャーがあったからだ。主要メディアはSLをほとんど間違いなく「ゲーム」と決め付けていた。SLのことを何か書いているジャーナリストの中には実際にSLの中に入ってきたり、ウェブサイトで調べたりするという者たちさえほとんどいなかった。(それは少数派であって、残りはほとんどログインして、どこかでセックスが行なわれていないか探して回っていたのだった。)
Posted by Sophiee Winkler at 12:53│Comments(0)
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