2010年08月04日
SL創世記(11)

「2009年のリンデンラボを一言で要約すると、『考えの足らない』、あるいは『迂闊な』人達ということになる。前の年にはそれなりに頭を働かせていたのだが。
回転ドア
リンデンラボのOFO(最高財務責任者)John Zdanowskiが会社を離れたあと、リンデンラボはユーザー間取引の大きさがSLの経済規模を表すものだとの考え方を気に入り、その年の間中そちらへ傾斜していった。その過ちは自分で規模を広げすぎた会社自体に責任があるのだが、結果として2010年になってスタッフの三分の一をレイオフすることになった。
Communication ManagerのKathleen Craigは間近に予定していたプレス・リリースの話を我々としていた最中に姿を消した。後で彼女は就任後1年も経たぬ間に会社を辞めたのだと分かった。どういう状況なのかはそのときは分からなかった。プレス・リリースの内容にはリンデンラボがウェブベースの仮想商品市場を運営する会社を買い取るということが含まれていた。OnRezとXstreet SLだった。On Rezはとても魅力的な会社だったが、最終的には消滅させられた。
そして上級副社長のRobin Harperが会社を離れようとしているとのニュースが入ってきた。それは明らかにリンデンラボの経営層のリストラの一環だったが、多くの上級職の採用も含まれていた。それから、何時でも陽気なリンデンラボの創業者であるPhillip Rosedaleと4月に話していた時に、我々は彼がもはやリンデンラボの運営にほとんど関与していないのだということに気がついた。
リンデンラボとIBMは共同でIETFの作業グループを立ち上げた。これは仮想環境の相互乗り入れの標準を作る意図だったが、1年も経たないうちにリンデンラボはそのグループへの関与を止めてしまったように思える。
コンテントの開発者として勇名をはせていたRezzableのグループは、どんどん隆盛になっていた彼等の仮想牧場と有名な様々のコンテンツを2010年を以ってSLから撤去した。
(自分達の独自のグリッドを作ってそこに移転した。)」
Orangeグループは彼等の島を閉鎖し、Telstraグループも同様に撤退した。そしてリンデンラボはマーケティングのためのオフィスをアムステルダムに作ることを計画した。」
Posted by Sophiee Winkler at 13:14│Comments(0)
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