2008年08月08日
感情移入の季節

SLは第二の人生とか生活と訳されていることが多いのですが、本当は「第二の生命」というべきなんでしょうね。ログインするときに、”Second Life logging in……” って表示されます。これはログインしつつある私のことを意味しているのですね。字面はセカンドライフにログインしつつあるという意味ではないでしょう。
昨日オリンピックの開会式に先立って行われた男子サッカーの日本-アメリカ戦を見ていたんですが、両チームの余りのレベルの低さに途中でチャンネルを変えてしまいました。解説者もとぼけたコメントを出すばかり。明らかに日本のサッカーは退化の一途を辿っていて、今や「サッカーに良く似た球技」のレベルにまで下がってきています。世界との違いの本質を本気で突き止めてこなかったため、大部分のスポーツジャーナリストやサポーターとともに日本全体が大きな勘違いの海の中を漂流している感じです。トラップすらまともに出来ない人達が日本代表だなんて・・・・・・。
この小学生の段階で身につけるべき基本技術ができないままに育ったプレーヤーで構成されたチームは永久に世界に手が届くことはないでしょう。南米でも欧州でもそのことには気がついていても言ってはくれませんね。自分と関係のない人に面と向かって「あなた不細工ですね」とか「頭わるいですね」という人はいませんからね。普通は自分で気がつくことなので。
さてオリンピックが始まると、日本中の家庭が叫び声に包まれるでしょう。過剰な期待と、マスコミの振りまく幻想、そして私たちの感情移入。
そもそも、どうして自分でない人を同じ日本人だからといって応援するのでしょうか?その人が勝ったり負けたりすると、どうして自分のことのように一喜一憂するのでしょうか?実際にお付き合いしてみると、とっても嫌な人かもしれないのにね。宇宙でオリンピックをやったら、私達は地球人だという理由でテロリストでも応援するのかしら?この辺のメカニズムが不明です。
SLで自分のアバターに感情移入しているのもこれに似てますね。あるいはもっと重症かも、なにせ第二の自分です。更にSLの中のアバターは自分で動かしていて、他の人との区別ははっきりついています。お話もできるしね。だから、RLのスポーツ観戦より感情移入が強いのは当然かもしれない。
スポーツ観戦でもプレーヤー達をまるで自分のアバターのように思ってしまって、思い通りに行かないと嘆いたり、叫んだりしてしまいます。でもアバターじゃないので時には思いもよらないプレーをして素晴らしいパフォーマンスを見せてくれることもありますね。だからスポーツ観戦は勝手な感情移入と、それが次々に裏切られることの意外性や、もどかしさ、時たまの一体感などが魅力なんです。
もし100試合連続で完全試合ができる超人投手がいても誰も見なくなるでしょうね。なぜなら彼のパフォーマンスは観客である自分とは何の関係もないということが100%明確に示されてしまうからです。
SLの場合はアバターに関して言えば意外性というのは新しいスキンを付けて見るときくらいでしょうか。意外性はむしろ他者や他のオブジェクトとの関係で感じることが多いですね。きょうは全く取りとめがなかったです。
お話変りますが、今晩祖父のお墓参りのために西の方に旅をします。あした飛行機で帰ってくる予定ですが、もし事故が起きたりするともうSLにはIn出来ないし、ブログも更新することができません。そういうことも有り得るので、皆さんちょっと頭の片隅にそのことを置いておいてくださいね。また日曜日にお会いできますように。